英語: mummy をはじめとするヨーロッパの各言語における名称は、中世のラテン語: mumia に由来し、それはさらにアラビア語: ?????? (m?miya')に由来し、アラビア語はさらに「蝋」を意味するペルシャ語: m?m に由来するとされる[9]。また、漢字表記の「木乃伊」は14世紀の『輟耕録』巻3に回回人の言葉として出現し、中国語では「蜜人」というとしているが、おそらくは同じ語に基づく[注釈 1][10]。日本語で機械的に音読みした「モクダイイ」はあまりにも原音から遠い印象があるが、北京語でこれを読むと「ムーナイイー」(普通話: mun?iy?)のようになる。『輟耕録』ではミイラを回回人の習俗として記し、手足をけがした人がミイラを食べるとたちどころに直ると記述している。『本草綱目』でも『輟耕録』を引用しているが、本当に効果があるかどうかはわからないとしている[11]。日本でもこの表記を中国語から借用し、「ミイラ」の語に充てるようになった。
16?17世紀のヨーロッパにおいて、ミイラは一般的な薬として広く使用されていた[12]。そのため、ミイラを取ることを生業とする者が増えた。なお、ミイラを取るためには墳墓の中に入ったり、砂漠を越えたりする必要があることから危険がつきまとい、ミイラを探す人間が行き倒れることもあった。彼らの死体がどれほどの確率で自然乾燥によりミイラ化したかは不明であるものの、このことを指して「ミイラ取りがミイラになる」という言葉が生まれたなどとする説がある。数多くの盗掘が行われ、近現代の考古学研究を阻害する要因となったのは事実であるが、実際には本物のミイラを取りに行くよりも捏造品を売りさばくほうが楽であり、墓暴きの存在を諺の成立由来として扱うには信憑性が低い。なお、薬としてのミイラは日本にも輸入されており[13]、江戸時代には大名の間で人気だったという。 2019年時点の研究では、世界最古のミイラは約5300年前から存在したとされる[14]。特に古代エジプトでは、紀元前3500-3200年のナカダ2期
ミイラの事例
古代エジプト
内臓を摘出した死体を70昼夜にわたって天然炭酸ナトリウム(ナトロン)に浸し、それから取り出した後、布で幾重にも巻いて完成させる方法でミイラが作成された。包帯を巻いたミイラのイメージは、この古代エジプトのミイラ作成に由来する。理性の場であると信じられていた心臓を除いた胸部と腹部の臓器や組織は下腹部の切開によって全て取り出され、脳の組織は鼻孔から挿入した鉤状の器具によってかき出された。取り出された他の臓器はカノプス壺に入れられて保管された。古王国時代は遺体を石膏で覆って彫像のようにする処置があり、第1中間期にはミイラマスク、中王国時代の第12王朝には人形棺が用いられるようになった。
犬、猫、ワニ、ヒヒ、トキなど、神の化身とされた動物のミイラも作成され、特に末期王朝時代以降に盛んになった。
後世になると松ヤニが染み込んだミイラは木の不足から工場や蒸気機関車の燃料として使われ、一般家庭でも包帯を燃やして調理の火に使われた[15]。特に貴族のミイラは松ヤニが多く使われていたため重宝された[15]。肥料、薬、絵の具(ミイラ色)としても使われた[15]。副葬品にはミイラ肖像画が入れられる事もあった。