マーロン・ブランド(Marlon Brando、1924年4月3日 - 2004年7月1日)はアメリカの俳優である。20世紀の最も影響力がある俳優のひとりとされ[1]、2つのアカデミー賞、2つのゴールデングローブ賞、カンヌ国際映画賞、3つの英国アカデミー賞など、6つの年代にわたって数多くの賞を受賞した。ブランドは様々な問題の活動家でもあり、特に公民権運動と多くのネイティブ・アメリカンの活動に参加した。1940年代にステラ・アドラーに師事したブランドは、一般大衆にスタニスラフスキー・システムとメソッド演技法を広く知らしめた最初期の俳優に数えられる。
ブランドは当初、ブロードウェイにおいてテネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』の主役スタンリー・コワルスキーを演じて好評を博し、1951年の映画版でも同役を演じることで最初のアカデミー主演男優賞ノミネートを受け名声を得た[2]。ブランドは『波止場』のテリー・マロイ役の演技でさらなる評価を受け、初めてアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞した。『乱暴者』における反抗的なバイク・ギャングのリーダー、ジョニー・ストラブラーの演技はポピュラー・カルチャーの永続的なアイコンと化した[3]。ブランドは『革命児サパタ』でのエミリアーノ・サパタ役、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の1953年の映画版でのマルクス・アントニウス役、ジェームス・A・ミッチェナーによる1954年の小説の映画版『サヨナラ』(1957年)でのロイド・グルーヴァー空軍少佐役でアカデミー賞ノミネートを受けた。
1960年代に入るとブランドのキャリアは商業的にも批評的にも陰りを見せた。ブランドはカルト西部劇『片目のジャック』の監督と主演を務めたが批評的にも興行的にも失敗に終わった。その後は『戦艦バウンティ』(1962年)を初めとして、数々の興行的な失敗作に立て続けに出演した。10年間の不振の末、ブランドはフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』におけるヴィトー・コルレオーネ役のスクリーン・テストを受けることに合意した。この役を得たブランドは2つ目のアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞し、批評家からはキャリアで最高の演技と評価された。ブランドは「今日の映画業界におけるアメリカン・インディアンの扱い、そして最近起きたウンデット・ニーの占拠事件」を理由にアカデミー賞の受賞を拒否し、サチーン・リトルフェザーを代理人として賞の回収と拒否した理由を説明させた[4]。