マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
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[9]代替会場となったカリフォルニア州ローズボウルで開かれたその大会は、ハーフタイムショーマイケル・ジャクソンが出演し、伝説的なステージを繰り広げた事でも有名である。

アメリカにおいて生前の業績から祝日が制定された故人は、他にクリストファー・コロンブスジョージ・ワシントンエイブラハム・リンカーン(誕生日2月12日は1892年に連邦の休日と宣言されたが、後にジョージ・ワシントンの誕生日と併せて大統領の日とされ毎年2月第3月曜日に制定されている)の3人しかいない。

またアメリカ国内の多くの大都市に「マーチン・ルーサー・キング通り」が作られたほか、ベトナムのホーチミン市7区にも、ベトナム史の偉人の名にまじり、「マーチン・ルーサー・キング通り」が存在する。

2011年10月16日には、アメリカの首都ワシントンD.C.にあるナショナル・モール国立公園内にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念碑が完成し、バラク・オバマ大統領らを招いて完成式典が行われた[10]

アメリカ国内において、アングロサクソン系を中心とした白人による、アフリカ系アメリカ人やインディアンヒスパニックアジア系アメリカ人、中東系アメリカ人(特にイスラム教徒へのもの)をはじめとする少数民族に対する人種差別は未だ根絶されていないが、キングの運動の結果、公民権法が施行されたことによる法的側面からの人種差別撤廃の動きを、平和的な手段によって大きく前進させた意味は大きいといえる。

公民権運動に携わった時期及び凶弾に倒れた際の話は、遠く離れた日本の公立中学校3年英語教科書の教材として使用されている。ストーリーの最後に登場する、「人は兄弟姉妹として共に生きていく術を学ばなければならない。さもなくば、私たちは愚か者として滅びるだろう」は、キングがメンフィスで語った言葉である。

そしてキングの死から40年後にアメリカ人とケニア人の混血であるバラク・オバマが大統領に就任した。ミシェル・オバマ夫人は黒人奴隷の子孫であるため、アフリカ系アメリカ人初の大統領とファーストレディが同時に誕生した。バラク・オバマ大統領就任式はアフリカ系初であるために記録的な観客に満ち、キングの子のマーティン・ルーサー・キング3世(祖父・父と同名)も参加し、第44回就任式のテーマは、エイブラハム・リンカーン生誕200年を記念して、「自由の新しい誕生(A New Birth of Freedom)」とされた。

LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。

小惑星(2305) Kingはキングの名前にちなんで命名された[11]

姉のクリスティン・キング・ファリス(英語版)は人権活動家として人種差別の撤廃や平等を求める闘いに人生を費やし、2023年6月25日に95歳でこの世を去った[12]
楽曲

ディオンアブラハム、マーティン・アンド・ジョン」 - 1968年発売のシングル。キング、エイブラハム・リンカーンジョン・F・ケネディロバート・ケネディに対する鎮魂歌である。

ラスカルズ自由への讃歌(People Got To Be Free)」 - 1968年7月発売のシングル。キングの暗殺に触発されて書かれた。

ラスカルズ 「希望の光(A Ray of Hope)」 - 1968年11月発売のシングル。キングとロバート・ケネディの暗殺に触発されて書かれた。

ニーナ・シモン 「ホワイ?(ザ・キング・オブ・ラブ・イズ・デッド)」 - 1968年発売のアルバム『ナフ・セッド!』に収録。シモンのバンドのベーシスト、ジーン・テイラーが書いた。

ポール・マッカートニー&ウイングス幸せのノック(Let 'em In)」 - 1976年発売のアルバム『スピード・オブ・サウンド』に収録。歌詞にキングの名前が登場する。

スティーヴィー・ワンダーハッピー・バースデイ」 - 1980年発売のアルバム『ホッター・ザン・ジュライ』に収録。「キングの誕生日を祝日にしよう」という運動に捧げた曲である。

U2 「MLK」「プライド」 - 1984年発売のアルバム『?』に収録。両曲ともキングに捧げられている。

マイケル・ジャクソンマン・イン・ザ・ミラー」 - 1987年発売のアルバム『バッド』に収録。ビデオクリップにガンディーらと共に一瞬ではあるがキングの映像が登場する。[They don't care about us]に(もしマーティン・ルーサーが生きていたら、このような事態を放っておかなかった)という部分がある。

マイケル・ジャクソン 「ヒストリー/ゴースト」 - 1995年発売のアルバム『ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1』に収録。キングの演説の一部(“I Have a Dream”)が使われている。

プリンス 「ファミリー・ネーム」 - 2001年発売のアルバム『レインボー・チルドレン』に収録。曲末に63年の演説の最後の部分、"Free at last"の部分がそのままキングの声で収録されている。

リンキン・パーク 「Wisdom, Justice and Love」 - 2010年発売のアルバム『ア・サウザンド・サンズ』に収録。キングのスピーチの音源がサンプリングされている。

ジェームズ・L・ホセイ作曲 「ひとつの声に導かれる時(And the Multitude with One Voice Spoke)」 - キングの公民権運動がテーマとなっている。

ルチアーノ・ベリオ作曲「シンフォニア Sinfonia」(1968-69)第2楽章 - O Kingの副題。キングの名前を歌詞の素材として使用。キングへの追悼として作曲(ECD 88151のライナーノーツより)。

FBI・CIA・NSAによる監視

ケネディ政権時代の1963年にも、連邦捜査局(FBI)はキングの監視を当時の司法長官ロバート・ケネディに願い出て、許可されていた。「アイ・ハブ・ア・ドリーム」スピーチを行った後、FBIはキングを「国内で最も危険で効果的な黒人指導者」と表現した。FBIはキングについて「共産主義者に故意に、積極的にそして定期的に協力し、指導を受けていた」と主張した。

キングが共産主義者であることを証明する試みは、「南部の黒人は現状に満足しているが、共産主義者と外部の扇動者によって刺激されている」という、多くの分離主義者・人種差別主義者の感情に関連していた。1950年代と60年代の市民権運動は、世界大戦前にさかのぼる黒人コミュニティ内の活動から生じた。キングは、「黒人革命は、すべてを生み出す同じ胎内から生まれた真の革命である。それは大規模な社会的激変?耐え難い状況と耐えられない状況の胎内である」と述べていた。
CIAの監視
2017年に機密解除された中央情報局の「CIAファイル」は、1964年11月4日付けのワシントンポストの記事により、キングがソビエト連邦に招待されたと主張した。また、ラルフ・アバーナシーがキングのスポークスマンとしてコメントを拒否した後、エージェンシーがキングと共産主義の間の可能なリンクを調査していることを明らかにした。キングおよび他の公民権活動家に属するメールは、CIAプログラム、HTLINGUAL(ソ連・中国からの郵便・通信を傍受するシステム)によって傍受された。
FBIからの脅迫
また死後、1964年には、FBI長官ジョン・エドガー・フーヴァー率いるFBIからの執拗な脅迫を受けていたことが分かっている。フーヴァーとFBIは脅迫状を送り、盗聴・録音したキングの不倫テープとともに、キングを罵り脅迫していた。手紙の書き出しは「汚らわしい、異常な野獣よ、よく聞け。おまえは録音されている。おまえの浮気行為、乱交ぶりは過去の過去まで録音されている。これはそのほんの見本だ」と始まり、さらに「おまえに残された道は一つだけだ。分かっているだろう」と続き、表舞台から手を引く、または自殺するよう暗に迫っていた[13]


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