マーシャル・プラン
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強調は原文)と述べ、国際機関を通じての援助を否定した[注釈 12]
国務省首脳会議

5月28日、国務省の首脳会議が開催され、長官のマーシャル以下、アチソンおよびクレイトンの両次官、国務省顧問コーエン、国務長官特別補佐官ボーレン、経済問題担当国務次官補ソープ(Willard Long Thorp)、政策企画本部長ケナンらが出席した。会議では、政策企画本部の報告書とクレイトンの覚書とについての検討が中心議題として取り上げられた[27]

討議は主に以下の3点を巡って展開された。
ソ連主導下の東ヨーロッパ諸国を援助対象に含めるか否か。

アメリカとヨーロッパのいずれが援助計画作成作業を主導すべきか。

援助計画の実施時期と実施機関をどうするか。

援助対象地域については、アメリカがヨーロッパ分裂の責めを負うべきではないという点では全員が一致していた[28]。しかし、それが東ヨーロッパ諸国の参加の容認を意味するのか否かに関しては、ケナンとクレイトンはやや見解を異にしていた。ケナンは参加国を特定する表現はとらず、ソ連が好意的な気配を示せば参加を容認する用意があるとして、「我々の手でヨーロッパに分割線を引く気はない」と語った。これに対してクレイトンは「西ヨーロッパは東ヨーロッパにとって不可欠であるが、逆は真ならず」と語り、無理に東欧を含める必要はないとの立場を明らかにした。そして、東ヨーロッパの石炭や食糧は西ヨーロッパの復興にとって重要であるが、ソ連が東ヨーロッパを軍事的に支配しない限り、東ヨーロッパは外貨獲得のためにそれらを西側に輸出せざるを得ないが故に、東ヨーロッパを抜きにしてもその資源を活用できるとした。結局「計画は、東ヨーロッパ諸国が自国経済の排他的に近いソヴィエト志向を放棄すれば参加できるような条件で立案されるべきである」との結論に至った。東ヨーロッパにとって厳しい条件が付せられてはいるが、この時点では未だヨーロッパ分裂は固定的には理解されていなかったことが判る。ただし、実施段階では東ヨーロッパからの参加国は現れず、アメリカも無理に東ヨーロッパ諸国を引き入れようとした形跡もないことから、ソ連と事を構えてまで東ヨーロッパを抱き込む意志は無かったと考えてよいであろう[29]

計画の主導性については、ケナンは先に提出した報告書「PPS1」に則り、ヨーロッパに主導権を付与すべきであると主張したが、コーエンやソープは、ヨーロッパは各国の意見を調整する資質に欠けており、統一的計画を作成出来るとは考え難いとして、アメリカが実質的な責任と主導権を掌握した上で計画を進めるべきであると強調した。クレイトンもアメリカが一定の影響力を保持すべしとの考えであった。この件に関して、首脳会議がいかなる結論に達したのかは明らかではないが、その後の推移を見る限り、ヨーロッパの自主性を尊重しながらも動向を注意深く観察するといった折衷案が採用されたものと推察される[30]

実施機関について、殊にECEを実施機関とすべきか否かについても意見が割れた。クレイトンは、ECEはソ連の妨害が懸念されるため「全く利用出来ない」と断じ、英仏伊およびベネルクスの計6か国による代表との予備的議論の場を持つよう提案した。これに対しては、国際連合機関を迂回すれば世論の反発を招いて計画が頓挫するおそれがあるため、最初だけでもECEに付託すべきであるとの反論が挙がった。これについても結論は詳らかにされていないが、ケナンが「ECEをヨーロッパ復興計画のセンターとして利用したいと希望していたわれわれは、ウィル・クレイトンがヨーロッパから帰国して、ECE第1回会議でのソビエト代表の行動について報告すると、深刻な挫折感を味わった」[31]と回想していること、そしてECEが援助任務を担うことが遂になかったことを考慮すると、クレイトンの主張が通ったものとみられる[32]

こうした紆余曲折の末、マーシャルは援助計画の発表に臨んだのである。
演説第50代アメリカ合衆国国務長官ジョージ・マーシャル

ハーヴァード大学はマーシャルに対し、戦時中に彼が成した功績を顕彰して法学博士名誉学位の授与を申し出ると共に、学位授与式の際に記念講演を行うようかねてより打診していた。これを受諾したマーシャルはボーレンに、ケナンやクレイトンの覚書を下敷きにして演説文を起草するよう命じた[33]。6月2日に書き上げられた草稿は、アチソン、クレイトンによる内容確認とマーシャルによる若干の修正を経て、演説の場に持ち込まれた。

6月5日、マーシャルは大学構内に建つメモリアル・チャーチの階段に登壇し、記念講演を行った。この講演でマーシャルは、欧州援助計画の構想を初めて公にした[注釈 13]

「世界情勢が非常に深刻であることは言うまでもない」と切り出したマーシャルは、「問題が極めて複雑であるがために」一般国民にはこの深刻な事態の把握が困難になっているとして、まず援助を行う理由即ちヨーロッパの危機的状況について説明を始めた。
要旨

マーシャルの演説の要旨は以下の通り。

ヨーロッパの現状について

先の大戦は「物理的な生命の損失や、都市工場鉱山鉄道などの目に見える破壊」のみならず、ヨーロッパの経済構造全体を混乱に陥れたということがこの数か月の間[注釈 14]に明らかになった。「長年の通商関係や民間の諸制度・銀行保険会社海運会社は、資本の喪失・国有化による吸収または純然たる破壊によって消滅した」。

また通貨に対する信用が低下しており、農村は食糧を、都市は日用品をそれぞれ生産し、互いに交換し合うという近代的分業体制が崩壊の危機に瀕している。ヨーロッパ各国の政府は、外貨を食糧や燃料の輸入に充てざるを得ず、それゆえ「復興のために緊急に必要とされる資金が消尽してしまう」。

ヨーロッパが今後3年から4年間に必要とする外国産(主にアメリカ産)の食糧と必需品の量は支払い能力をはるかに上回っているので、「相当の追加援助が無ければヨーロッパは非常に由々しき経済的・社会的・政治的破局に直面せざるを得ない」。この悪循環を打破し、今後の経済動向に対する自信を回復させることこそが問題解決のために必要である。そして通貨の価値と信頼性を回復させ、商品交換を促進させねばならない。

援助のあり方について

「我々の政策は特定の国家や主義に対してでは無く、飢餓・貧困・絶望・混乱に対して向けられている。その目的は自由な制度が存在し得る政治的・社会的な諸条件の出現を許容するような、活発な経済を世界に復活させることである」。復興援助は、危機が起こるたびに小出しになされる類のものであってはならない。「いかなる政府も、この復興事業に協力する気があるならば、アメリカ政府の全面的な協力が得られることを保証しよう。いかなる政府も、他国の復興を妨害しようと画策するならば、我々の援助は期待出来ない」。

アメリカはヨーロッパ復興のために可能な限りの支援をするが、計画の立案はヨーロッパ自身が率先して行うべきである。また、「計画はヨーロッパの全国家とは言わないまでも、相当数の国家の賛同を得た共同の計画でなければならない」。

援助計画を成功させるためにはアメリカ国民の理解が必要である。「歴史が我が国に対して明確に課した重大な責務に、アメリカ国民が展望と自発性とをもって向き合うならば、先程述べた困難の数々は克服されるであろう」[注釈 15]


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