1970年11月23日、アキンナーの西の大西洋上でリトアニア国籍でソビエトの船員シマス・クディルカが、ソビエト船からアメリカ沿岸警備隊のカッターに飛び込んで合衆国への亡命を図った。沿岸警備隊の第一管区司令ウィリアム・エリス少将はKGBエージェントの乗船とクディルカの逮捕を許したため、統一軍事法典違反として処分された[6]。
1974年、スティーヴン・スピルバーグは、映画「ジョーズ」をマーサズ・ヴィニヤードで撮影した。スピルバーグは、島の先住民クリストファー・リベロをブロディ署長(ロイ・シャイダー)の長男マイケル・ブロディに、ジェイ・メローを次男ショーン・ブロディの役に選んだ。他にも多くの先住民がエキストラとして映画に登場した。ジョーズ2とジョーズ'87 復讐篇もこの島で撮影された。2005年6月、島ではジョーズ30周年を祝い、週末のジョーズ祭りを催した。
1977年に選挙区の再分配で苦悩したマーサズ・ヴィニヤードは、ナンタケット島とともにマサチューセッツ州から脱退し、全米51番目の州になろうとした[7]。
1982年3月5日、ジョン・ベルーシはカリフォルニア州ロサンジェルスで薬物の過剰摂取により死去し、4日後にマーサズ・ヴィニヤードのチルマークにあるエイベルズヒル墓地に葬られた。彼の墓標には、「私は行ってしまうかもしれないが、ロックンロールは生き続ける」と書かれている。彼の墓を訪れる者が多く、墓荒らしの恐れがあったので、遺骸は墓地内の別の場所に移葬された。墓参者は絶えず、夏の間にビールの缶が散乱するので、ベルーシの別の「印」となっている。
マーサズ・ヴィニヤードは、ビル・クリントン元大統領が妻のヒラリーと娘のチェルシーと共に、就任中に夏の休暇を過ごすことで世界的な注目を集めた。クリントンは最近の島の評判を高めたが、1800年代、時の大統領ユリシーズ・グラントも夏の訪問者であり、オークブラフスのメソジストのキャンプ場にあるジンジャーブレッド・コテージに滞在した。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア
1999年7月16日、マーサズ・ヴィニヤードの海岸沖で小さな飛行機が墜落し、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアとその妻キャロリン・ベセット=ケネディと妻の姉ローレン・ベセットと共に死去した。ケネディの母で元ファーストレディであるジャクリーン・ケネディ・オナシスは1994年に死去するまで、アキンナーの家に起居していた。
2000年の夏、野兎病が発生して1人が死亡し、野兎病菌噴霧の潜在的調査地点として島を試験しようとしていたアメリカ疾病予防管理センターの興味をそそることになった。次の年の夏、マーサズ・ヴィニヤードは芝刈り機から野兎病が発生した症例のある世界で唯一の場所となった。この研究はバイオテロの防止に役立つ可能性がある。 マーサズ・ヴィニヤードは6つの町に分かれている。 マーサズ・ヴィニヤードはケープコッドの南海岸から約3.5マイル (6 km) の距離にある。ウッズホールから出るフェリーで行き来でき、他にもファルマス、ニューベッドフォード、ハイアニスおよびロードアイランド州のクォンセットポイントからフェリー便がある。6月から10月のシーズンには、ボストン、プロビデンス、ニューヨーク、フィラデルフィアおよびワシントンD.C.からマーサズ・ヴィニヤード空港まで空の定期便がある。
行政区分
ティスベリー、この中にはヴィニヤード・ヘイブンの村が含まれる。島に入る乗客および貨物の主要港である。ウエストチョップ半島を含んでいる。
エドガータウン、チャパキディック島とカタマを含む。その豊富な捕鯨伝説で有名であり、島で人口と面積が一番大きな町である。
オークブラフス、住民、観光客双方に「パーティの中心」という評判がある。イーストチョップ半島を含んでいる。
ウエストティスベリー、島の「アテネ」と呼ばれることがある。島の農業の中心である。毎年8月にはマーサズ・ヴィニヤード農業祭が開かれる。
チルマーク、メネムシャの漁村を含む。田園と丘の多い地形である。
アキンナー、元はゲイヘッド。ワンパノアグ族が住んでいる。
交通手段