1286年3月19日、祖父アレグザンダー3世が44歳で全ての子に先立たれたまま急死した。そこで長老・重臣たちは、アレグザンダー3世の血を引くマルグレーテ(マーガレット)に白羽の矢を立てた。こうして、わずか3歳のスコットランド初の女王が誕生したが、マーガレットはノルウェーの王宮にとどまったままだった[3]。
隣国イングランドのエドワード1世(マーガレットの母方の大伯父にあたる)はスコットランド王位の継承権を狙って、4歳の王太子エドワード(後のエドワード2世)とマーガレットの結婚を迫った[4]。スコットランドの長老・重臣たちにはこの要求をはねのけることができず、1290年3月に2人の結婚に同意することをエドワード1世に通知した[5]。同年7月18日、スコットランド南部で結婚条件が取り決められたが、国境地帯にイングランド軍を配置するばかりか、スコットランドの王位継承権をイングランド側に移すという屈辱的な内容であった[6]。
結婚のためスコットランドに渡ることになったマーガレットを乗せた船が、ノルウェーのベルゲンからスコットランドを目指した。途中で大時化に遭いながらも、船は9月26日にオークニー諸島(当時はノルウェー領)へ到着した。しかし、マーガレットは極度の船酔いのため、スコットランドに足を踏み入れることなく同地で亡くなった[7]。わずか7歳であった。マーガレットの死によってスコットランドのアサル王朝は断絶し、ジョン・ベイリャルら13人の王位請求者が乱立する事態となった[8]。
死から10年後の1300年、マーガレットを自称する偽マルグレーテがベルゲンに出現したが、ほどなく処刑された[7]。
脚注^ ⇒Margaret of Scotland
^ ⇒Margaret, Maid of Norway
^ 森、p. 97
^ 森、p. 99
^ 森、p. 101
^ 森、p. 102
^ a b 森、p. 103
^ 森、p. 104
参考文献
森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
関連項目
スコットランド独立戦争
表
話
編
歴
スコットランド女王(1286年 - 1290年)
アルピン朝
ケネス1世848-858
ドナルド1世(英語版)859-863
コンスタンティン1世(英語版)863-877
エイ(英語版)877-878
ギリック(英語版)878-889
ヨーカ(英語版)878-889
ドナルド2世889-900
コンスタンティン2世(英語版)900-942
マルカム1世(英語版)942-954
インダルフ(英語版)954-962
ダフ(英語版)962-967
カリン(英語版)967-971
ケネス2世(英語版)971-995
コンスタンティン3世(英語版)995-997
ケネス3世(英語版)997-1005
マルカム2世1005-1034
アサル朝
ダンカン1世1034-1040
マリ朝
マクベス1040-1057
ルーラッハ1057-1058
アサル朝
マルカム3世1058-1093
ドナルド3世1093-1094
ダンカン2世1094
ドナルド3世1094-1097
エドガー1097-1107
アレグザンダー1世1107-1124
デイヴィッド1世1124-1153
マルカム4世1153-1165
ウィリアム1世1165-1214
アレグザンダー2世1214-1249
アレグザンダー3世1249-1286
ユングリング家
マーガレット1286-1290
ベイリャル家
ジョン・ベイリャル1292-1296
ブルース朝
ロバート1世1306-1329
デイヴィッド2世1329-1371
ベイリャル家
エドワード・ベイリャル1332-1356
ステュアート朝
ロバート2世1371-1390
ロバート3世1390-1406
ジェームズ1世1406-1437
ジェームズ2世1437-1460