2010年時点で、5歳以上のマンハッタン居住者の59.98%(902,267人)は自宅で英語のみを話し、23.07%(347,033人)スペイン語、5.33%(80,240人)中国語、2.03%(30,567人)フランス語、0.78%(11,776人)日本語 、0.77%(11,517人)ロシア語、0.72%(10,788人)韓国語、0.70%(10,496人)ドイツ語、0.66%(9,868人)イタリア語、0.64%(9,555人)ヘブライ語、0.48%(7,158人)自宅でアフリカ言語を話している。 合計で、5歳以上のマンハッタンの人口の40.02%(602,058人)は、自宅で英語以外の言語を話した。[14]
歴史詳細は「ニューヨーク市の歴史」を参照かつてのレナペ族(デラウェア族)インディアンの勢力範囲1660年当時、マンハッタンはニューアムステルダムの一部だった。右側が北。
ニューヨーク州はアメリカ建国13州のうちの11番目の州である。
もともとこの地には、レナペ族(デラウェア族)、ワッピンガー族などのインディアン部族がウィグワムによる移動型集落を形成し、トウモロコシや豆、カボチャなどを栽培し、狩猟採集の生活を営んでいた。領土的にはレナペ族がほぼ独占していた。
1524年:レナペ族の乗るカヌーが、探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノの船と現在でいうニューヨーク港で出会っている。彼はロングアイランドとスタテンアイランドを発見したが、マンハッタン島には到達しなかった。
1609年:オランダ人の資金援助でマンハッタンにたどり着いたヘンリー・ハドソンの名がハドソン川の由来となっている。ハドソンの船の乗組員のロバート・ジュエットは、この島について航海日誌に「マンナ・ハッタ (Manna-hata)」と記述している。
1613年:オランダ人の毛皮取引商Juan Rodriguez