マンハイム
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ラムペルトハイムフィールンハイム(以上、ヘッセン州ベルクシュトラーセ郡)、ヘッデスハイムイルフェスハイムエーディンゲン=ネッカーハウゼンハイデルベルクプランクシュタットシュヴェツィンゲンブリュール(以上、バーデン=ヴュルテンベルク州の市町村で、郡独立市のハイデルベルクを除き、すべてライン=ネッカー郡に属す)、アルトリプ、ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン、フランケンタール、ボーベンハイム=ロクスハイム(以上、ラインラント=プファルツ州の市町村で、郡独立市のルートヴィヒスハーフェンとフランケンタール以外は、 ライン=プファルツ郡に属す)。
気候マンハイムの気温と降水量グラフ

プフェルツァーヴァルトとオーデンヴァルトに護られたオーバーライン地溝帯に位置するマンハイムは、大変穏やかな気候である。最も暖かい7月の平均気温は19.9℃、最も寒い1月の平均気温は1.8℃である。真夏には30℃を超える日も珍しくはない。最高気温は2003年8月8日に記録された39.3℃である。(DWDの記録による。マンハイム=ゼッケンハイム私立観測所のこの日の記録は40.1℃である[3]。)マンハイムで顕著なのは少ない降水量である。平均年間降水量は668mmである。最も降水量が多い月は、やはり7月である。ライン川とネッカー川が、特に秋には、霧の発生を促す。両河川は湿度の上昇をももたらし、特に真夏には蒸し暑さの要因となる。マンハイムの年間平均気温は10.2℃で、ドイツで最も暖かい都市の一つである。
歴史
始まり

マンハイム村(=Heim des Manno)は、766年ロルシュ修道院文書中に初めて文献上の記録が遺されている。この地名は、古いドイツ語の人名 >Manno< の Heim=>Wohnort des Manno<、すなわち「マンノ」と称する人物の居住地を意味したと思われる[4]。長い間、小さな変哲のない漁村であったマンハイムは、1284年ヴィッテルスバッハ家出身のライン宮中伯の所領となった。1349年、現在のリンデンホーフにライン川を航行する船から少額の関税を徴収するための城、アイヒェルスハイム城が築かれ、この村は次第に重要性を増していった。1415年、ここに廃位された対立教皇ヨハネス23世が監禁された。1462年にゼッケンハイムの戦いでプファルツ選帝侯は、ヴュルテンベルク伯バーデン辺境伯メス司教からなる敵同盟軍を撃破し、この勝利により「勝利侯」としてオーバーラインの覇権を握った。1566年にはマンハイムの人口は700人となり、オーバーアムト・ハイデルベルク(ハイデルベルク管区)で最も大きな村になっていた。
市の成立1645年のマンハイム絵図

1606年3月17日にプファルツ選帝侯フリードリヒ4世はフリードリヒスブルク城塞建設の基礎工事を開始した。1607年1月24日にマンハイムに都市権が授けられた。城塞に隣接する城下町マンハイムについてなされた格子状の道路網敷設計画が現在まで遺され、活かされている。三十年戦争をマンハイムはプロテスタント同盟側で戦い、1622年に兵力による破壊を受けた。1618年には約1200人を数えたマンハイムは、戦争と疫病によって甚大な人的被害を受けた。1649年カール1世ルートヴィヒがプファルツ選帝侯に就いた時、戦争による破壊で著しく人口が減少し、経済的に破綻した領土を目の当たりにした。新しい君主はマンハイムの再建を決定した。ネッカー川がライン川に合流するマンハイムは、産業、商業の中心地とするに好都合な位置にあったことから選ばれたのであった。プファルツ継承戦争では、1689年にフランス軍による激しい砲撃とその後の占領により甚だしい損害を被った。都市の破壊を承けて、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムは、新たに大規模な再建を指示した。和平条約締結前の1697年に選帝侯は、避難民や流出した住民達に帰還を促す布告を起草している。都市の再建が始まると住民の数はたちまち増加していった。
文化的・政治的隆盛プファルツ選帝侯カール3世フィリップ

1720年に選帝侯カール3世フィリップは宮廷をハイデルベルクからマンハイムに移し、マンハイム宮殿の造営が始まった。(イエズス教会を含む全体が完成したのは1760年である。)マンハイムは選帝侯の宮廷都市となり、短期間とはいえ、光輝に満ちた隆盛期を迎え、人口は2万5千人を数えるに至った。ライン川は筏を組んで一度に多量の木材を運ぶのに使われていたが、マンハイムは物資の積み替え地として、とりわけ18世紀に、重要視された[5]。プファルツ選帝侯の宮廷では芸術と音楽、学問と商業が奨励された。ゲーテシラーレッシング、さらにはモーツァルトもこの地を訪れている。

バイエルンの継承者となったことから、選帝侯カール・テオドール1778年に宮廷をミュンヘンに移さねばならなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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