マンデラの名もなき看守
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ヨーロッパ系市民の入植開始から、1910年、南アフリカ連邦成立を経て、黒人・有色人種の移動の原則禁止と土地収奪の固定を柱としたアパルトヘイト体制が確立する。黒人の入会地だった土地の大部分が19世紀末には、白人地主の元に分配され、黒人農夫の多くが、白人地主の極悪条件のところで小作人として働くか、出稼ぎに行くことを余儀なくされていた。1952年には、パス法が施行され、南アフリカの大部分の地域で身分証明書なき黒人は投獄されるということが、より日常化されることとなる。金・ダイヤモンドの鉱山の過酷な労働条件の下で働かざるをえなくなる。アフリカ民族会議は、成立の1912年から1960年2月の非合法化まで、非暴力主義に徹していた。

1960年3月21日に起きたシャープビル虐殺事件、69人が死亡し180人以上が負傷する事件が起こるが、抗議活動を抑えるため、3月30日に南アフリカ政府は非常事態宣言を行い、今まで非暴力路線を貫いていたアフリカ民族会議(ANC)を非合法化する。マンデラが、軍事組織『ウムコントウェシスウェ』を組織したが、人命を極力失わないような工場・発電所爆破を作戦の中心にすえていたといわれている。1962年8月5日、マンデラは逮捕される。別件で5年の懲役の判決とは別に、武装グループ組織の件の反逆罪が問われ、パーシー・ユタール検事より死刑が求刑されたが、1964年6月12日、終身刑の判決が確定する。ネルソン・マンデラやウォルター・シスルは、ロベン刑務所に収監される。その4年ぐらい後から、この映画の設定は始まる。なお、ANC の逮捕されていない幹部は亡命し、ザンビアルサカに本部を置き、南アフリカ国内での軍事作戦の指揮を執る。

パス法により逮捕しようとする警官が黒人に暴力を振るうシーンが出てくる。南アフリカ国軍や警察による黒人への銃撃シーンは出てこず、テレビに出てくるソウェト蜂起の報道があるのみである。実際、南アフリカ国内およびレソトなどの周辺諸国で、南アフリカ国軍の作戦行動で、ANC活動家が殺害され、その周囲にいた民間人が犠牲となっていることが起こっている。映画『遠い夜明け』の最後の回想シーンに出てくるような、子どもが自動小銃で殺されるような事例が、報告されている。その一方で、アフリカ民族会議の軍事組織『ウムコントウェシスウェ』(Umkhonto we Sizwe)によるチャーチストリート爆弾事件(Church Street bombing)の爆破の瞬間のシーンが、この映画に登場する。19人が死に、200人が負傷し、死傷者の中に少なからず民間人がいたという事件である。

なお、主人公であり、原作者でもあるジェイムズ・グレゴリーは、1994年5月10日のネルソン・マンデラ大統領就任式に招待されている。グレゴリーは、2003年に亡くなっている。
キャスト

役名俳優日本語吹替
ジェイムズ・グレゴリージョセフ・ファインズ山本健翔
グロリア・グレゴリーダイアン・クルーガー佐古真弓
ネルソン・マンデラデニス・ヘイスバート福田信昭
ピーター・ジョーダン少佐パトリック・リスター村松康雄
ウィニー・マンデラフェイス・ンドクワナ林りんこ
ウォルター・シスルレズリー・モンゲジ
ジミー・クルーガー法務大臣ノーマン・アステイ

参考文献^ “Goodbye Bafana (2007) - Box office / business” (英語). IMDb. 2012年5月10日閲覧。

外部リンク

公式ウェブサイト
(日本語)

Goodbye Bafana - Official Site(英語)

Color of Freedom, The - TCM Movie Database(英語)

Goodbye Bafana - Rotten Tomatoes(英語)

マンデラの名もなき看守 - allcinema

マンデラの名もなき看守 - KINENOTE

Goodbye Bafana - オールムービー(英語)

Goodbye Bafana - IMDb(英語)










ビレ・アウグスト監督作品
1980年代

子供たちの城 (1983)

ツイスト&シャウト (1984)

ペレ (1987)

1990年代

愛の風景 (1992)


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