マンチェスター
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マンチェスターは綿工業などが発展し、産業革命において中心的役割を果たしたことで知られている。20世紀になって綿工業などが衰退し、19世紀にイギリス経済や世界経済で占めていたほどの地位からは外れているが、今日では商業高等教育メディア芸術大衆文化などの北部の中心地であり、第一次世界大戦後はバーミンガムがイギリス第二の都市とされていたが、第二次世界大戦後にグレーター・マンチェスターに再編されてからはバーミンガムと人口では拮抗、経済的にはバーミンガムを追い抜き現在ではイギリス第二の都市として評価されている[注釈 1]

マンチェスターは都市州グレーター・マンチェスターの一部を占める都市区であるが、市の地位を持っている。
歴史

1世紀、古代ローマ帝国によってマンクニウムとよばれる前哨地が一帯に築かれ、その砦がマンチェスターの起源である。中世的な町が形成されたのはおそらく10世紀のことで貴族の荘園が経済の基盤となっていた。14世紀にはオランダの織物職人の移民によって毛織物の生産が行われるようになり、定期的にマーケットが開かれる商業都市に発展した。

マンチェスターが劇的に変化したのは18世紀後半である。1785年に紡績機に蒸気機関が導入されることによって、大量生産が可能となり、世界で初めて産業革命が起こった。町の人口は爆発的に増加し、経済は急成長をとげた。1830年リヴァプールとの間に世界で最初の鉄道が開通し、マンチェスターで生産された綿織物がリヴァプール経由で世界中に輸出された。

1819年8月には、セント・ピーター広場で穀物法の撤廃と議会改革をもとめる人々が市当局に殺害された「ピータールーの虐殺」の舞台となった。コブデンブライトらが反穀物法同盟を組織した。穀物法は1846年に撤廃へと追い込まれた。

1894年にはマンチェスター運河の完成によってマージー川河畔にあるイーストハムともむすばれ、外洋航行船が出入りできるようになった。一方で産業革命の進展はスラムや公害などの深刻な都市問題を引き起こした。ドイツフリードリヒ・エンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状態」を著したのも、この街に2年ほど滞留した経験に基づいたものである。

第二次世界大戦の際には、各地の工場が軍用製品の生産に切り替えられた。マンチェスターもドイツによる激しい空襲を受けた。最も大規模であったのは、1940年12月に22日から24日にかけて行われた2回に渡る夜間空襲で、376人の死者を出し、30000の家屋が破壊された。これらの空襲で、マンチェスター大聖堂は大きな損害を被り、復旧に20年を要した。

戦後に復興を果たしたが、主力産業が衰退したため最盛期と比較して人口は半分強ほどになっている。代わってメディアや研究施設、金融機関などが集中し町は徐々に勢いを取り戻しつつある。約44万人の総人口のうちおよそ9%がインド人をはじめとする東南アジア人で、5%が黒人、1.5%が中国人である。バーミンガムと並んでイギリスの地方都市としては有色人種の割合が比較的高い。
地理

アーウェル川、メドロック川、アーク川の合流点に位置する工業都市である。産業革命以降、綿織物工業の中心都市として発展した。近隣の都市としては、約50キロ西のリヴァプール、約60キロ北東のリーズ、約55キロ東のシェフィールドなどが挙げられる。なお、英国第2の規模の国際空港であるマンチェスター空港は、同市のみならず上記の都市へのアクセスにも広く使われている。

市域は東西約9km、南北19kmで面積は115.65平方キロメートルあり、大半が可住地・市街地となっている。南部は学生街・公園地帯として発展し、中心部はオフィス街や商業地、移民による居住地などが展開されている。マンチェスターの人口の約1.5%は中国系住民であり、市中心部にはイギリス有数の規模のチャイナタウンがある。
気候

マンチェスターの緯度はおよそ北緯53度で樺太よりも更に北である。更に内陸部に位置していることもあって、冬季は気温差がやや大きく冷え込みも厳しい。しかしイギリス・アイルランド周辺を流れるメキシコ湾流の影響で基本的には温暖であり、一年を通じて平均的な降水量がある。

マンチェスター(マンチェスター空港(標高69m)、1981?2010年(極値1958?2004年))の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)14.3
(57.7)16.5
(61.7)21.7
(71.1)25.1
(77.2)26.7
(80.1)31.3
(88.3)32.2
(90)33.7
(92.7)28.4
(83.1)25.6
(78.1)17.7
(63.9)15.1
(59.2)33.7
(92.7)
平均最高気温 °C (°F)7.3
(45.1)7.6
(45.7)10.0
(50)12.6
(54.7)16.1
(61)18.6
(65.5)20.6
(69.1)20.3
(68.5)17.6
(63.7)13.9
(57)10.0
(50)7.4
(45.3)13.5
(56.3)
日平均気温 °C (°F)4.5
(40.1)4.6
(40.3)6.7
(44.1)8.8
(47.8)11.9
(53.4)14.6
(58.3)16.6
(61.9)16.4
(61.5)14.0
(57.2)10.7
(51.3)7.1
(44.8)4.6
(40.3)10.0
(50)
平均最低気温 °C (°F)1.7
(35.1)1.6
(34.9)3.3
(37.9)4.9
(40.8)7.7
(45.9)10.5
(50.9)12.6
(54.7)12.4
(54.3)10.3
(50.5)7.4
(45.3)4.2
(39.6)1.8
(35.2)6.6
(43.9)
最低気温記録 °C (°F)?12.0
(10.4)?13.1
(8.4)?9.7
(14.5)?4.9
(23.2)?1.7
(28.9)0.8
(33.4)5.4
(41.7)3.6
(38.5)0.8
(33.4)?4.7
(23.5)?7.5
(18.5)?13.5
(7.7)?13.5
(7.7)
降水量 mm (inch)72.3
(2.846)51.4
(2.024)61.2
(2.409)54.0
(2.126)56.8
(2.236)66.1
(2.602)63.9
(2.516)77.0
(3.031)71.5
(2.815)92.5
(3.642)81.5
(3.209)80.7
(3.177)828.8
(32.63)
平均降水日数 (?1.0 mm)13.19.712.311.210.411.110.912.011.113.614.113.5142.9
平均降雪日数65320000001320
湿度87868585858788898989888788
平均月間日照時間52.573.999.0146.9188.3172.5179.7166.3131.299.359.547.11,416.2
出典1:Met Office[3] NOAA (relative humidity and snow days 1961?1990)[4]
出典2:KNMI[5][6] Current Results - Weather and Science [7] WeatherAtlas[8]

人口南から望むManchester city centre. マンチェスターの中心業務地区及びグレーター・マンチェスター

マンチェスターは産業革命の進展と共に急成長し、1851年には30万人以上の人口を擁していた。更にその後も順調に発展を続け1930年代には市域人口がおよそ75万人に到達し、ロンドンリバプールバーミンガムに次ぐ大都市として英国経済を支えた。

しかしその後イギリスは『英国病』と呼ばれる長期不況に突入。マンチェスターは主力の繊維産業や日用品製造などの軽工業が衰退し、人口は急激に減少していった。それと共に中心部には放置された空き工場や無人住居、空き地、倉庫などが目立つようになっていく。

1980年代、地方自治推進政策や産業構造転換により街は徐々に息を吹き返し、金融機関や新聞社・テレビ局などのメディア企業、学術機関、研究所などが立地するようになり人口は2000年前後にようやく下げ止まり、増加に転じた。

現在では市域内人口こそ全国第6位(ロンドンバーミンガムリーズグラスゴーシェフィールドに次ぐ)であるものの、国全体の都市の位置づけとしてはバーミンガムなどと並んで2位、3位あたりを争うと言われている。市域人口は2018年現在547,627人で徐々に回復している。移民の流入が多く、中でも市中心部を中心としてインド人や中国人、黒人の増加が目立っている。非白人の全住民に占める割合は20%近くに達し、ロンドンやバーミンガム、リーズなどと並んで多民族都市の色彩が濃い。

なお市の年齢構成は2007年時点で0?14歳が17.0%、15?24歳が20.7%、25?64歳が51.0%、65歳以上が11.2%となっている。大学が多いことなどもあり、若年人口が多いことが特徴である。[9]


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