マルタ
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合計(2020年)130億5500万[2]ユーロ (€)

GDP(MER
合計(2020年)148億9900万[2]ドル(122位
1人あたり2万8955.293[2]ドル

GDP(PPP
合計(2020年)224億6400万[2]ドル(145位
1人あたり4万3655.85[2]ドル

独立1964年9月21日
通貨ユーロ (€)(EUR[3]
時間帯UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1MT / MLT
ccTLD.mt
国際電話番号356
^ a b “ ⇒UNdata”. 国連. 2021年10月11日閲覧。
^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月25日閲覧([1])
^ マルタのユーロ硬貨も参照。

マルタ共和国(マルタきょうわこく、マルタ語: Repubblika ta' Malta、英語: Republic of Malta)、通称マルタ(Malta)は、南ヨーロッパ共和制国家イギリス連邦および欧州連合(EU)の加盟国で、公用語マルタ語英語、通貨はユーロ、首都はバレッタである。1964年イギリスから独立し、2004年に欧州連合(EU) に加盟した。地中海中央部の複数の島からなる小さな島国で、人口は約44万人。いわゆるミニ国家の一つ。
概要

イタリアシチリア島の南に位置し、面積は316km2で、東京23区の面積622.99km2の約半分の大きさで、人口は約44万人、人口密度は約1380人/km2である。主要な島はマルタ島ゴゾ島コミノ島の三つである。

地中海のほぼ中央にあり、アフリカ大陸にも近い。このためカルタゴ共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配に入ったこともある。それに抵抗して戦ったマルタ騎士団がこの地の名前を有名にした。

小型犬マルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来する。
歴史詳細は「マルタの歴史」を参照

新石器時代から人間が生活していたといわれ、巨石文明および平行に穿たれた2本の溝の遺跡が島内各所に残る。前者はジュガンティーヤ、スコルバ、タルシーン、ハジャイーム、(イ)ムナイドラの各神殿を含む。後者は「カート・ラッツ(車輪の轍)」と呼ばれ、この溝には水路説と神殿などに石を運ぶために出来た(あるいは造られた)レール説があるが、鉄道のポイントのように分岐点が所々存在する。

紀元前1000年ごろ、現在のレバノン一帯が起源とされるフェニキア人が渡ってきて支配者となる。

紀元前400年ごろに、カルタゴの支配下に入り、その後紀元前218年ローマに攻略される。そのころから既に地中海貿易で繁栄していた。マルタ包囲戦 (1565年)変遷 聖ヨハネ騎士団 1566?1798

フランス占領下のマルタ(英語版) 1798?1800
マルタ保護国(英語版) 1800?1813
マルタ直轄植民地 1813?1964
マルタ国 1964?1974
マルタ共和国 1974?現在

紀元60年ごろ[1]使徒パウロがローマで皇帝の裁判を受けるために護送される途中で嵐に遭い、船が難破して打ち上げられた[2]。なお、マルタ島の北部にパウロと兵士や船員たちが打ち上げられたと言われる「聖パウロ湾」(Saint Paul's Bay)と呼ばれる場所がある。

870年アラブ人の侵攻を受け、1127年ノルマン人が占拠するまでイスラム帝国の支配下に置かれた。その後、1479年スペインの支配下に置かれ、1530年には、1522年ロドス島を追われた聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)の所領となった。1565年にマルタ騎士団はオスマン帝国からの攻撃を受けるが(マルタ包囲戦)、およそ4か月で撃退に成功した。現在の首都バレッタは、この時のマルタ騎士団の団長ジャン・ド・ヴァレットの名前にちなんでいる。

1795年エジプト遠征途上のナポレオン・ボナパルトによって占領された(フランスのマルタ占領)が、まもなくイギリスが支配したため、フランス軍はエジプトに孤立した。マルタ占領で地中海進出を果たしたイギリスに対し、通商権を侵害されたとしたデンマークスウェーデンと、そもそもイギリスの地中海進出に難色を示したロシアはプロイセンと結び、1800年に第二次武装中立同盟を結成する。

イギリスは、1801年にデンマークの首都コペンハーゲンを攻撃して(コペンハーゲンの海戦, 4月2日)武装中立同盟を解体させる。ナポレオン戦争の終了後、ウィーン会議でイギリスのマルタ領有が確定する。

地中海を経由してインドに至るルート上に位置するマルタは、イギリスの重要拠点となっていく。第一次世界大戦第二次世界大戦では、マルタ沖では海戦が度々勃発した。特に第二次世界大戦中にはエジプトへの連合国側の輸送路の途上にあり、またイギリス海軍の拠点として、イタリアと北アフリカとを結ぶ枢軸国側の輸送路を脅かす存在となった。このため、マルタ島は激しい空襲に晒されたが(第二次マルタ包囲戦)、ついに陥落することはなく、連合国軍のシチリアやイタリア本土への上陸作戦の拠点となった。詳細は「地中海の戦い (第二次世界大戦)」を参照

戦時下の国民の努力と忍耐を讃え、イギリス国王ジョージ6世は「マルタの国と国民全て」を対象にジョージ十字勲章を授与された。勲章は現在の国旗のデザインとしてあしらわれている。

戦後、反英抵抗運動、独立闘争では後に第3代大統領となるアガサ・バーバラらが活躍した。1964年9月21日、英連邦王国自治領マルタ国(State of Malta / Stat ta' Malta)としてイギリスから独立、エリザベス2世を女王とする人的同君連合となった。


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