マルタ
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このため、マルタ島は激しい空襲に晒されたが(第二次マルタ包囲戦)、ついに陥落することはなく、連合国軍のシチリアやイタリア本土への上陸作戦の拠点となった。詳細は「地中海の戦い (第二次世界大戦)」を参照

戦時下の国民の努力と忍耐を讃え、イギリス国王ジョージ6世は「マルタの国と国民全て」を対象にジョージ十字勲章を授与された。勲章は現在の国旗のデザインとしてあしらわれている。

戦後、反英抵抗運動、独立闘争では後に第3代大統領となるアガサ・バーバラらが活躍した。1964年9月21日、英連邦王国自治領マルタ国(State of Malta / Stat ta' Malta)としてイギリスから独立、エリザベス2世を女王とする人的同君連合となった。さらに1974年12月13日には君主制から共和制に移行し、イギリス連邦加盟のマルタ共和国となった。2004年5月1日に欧州連合(EU) に加盟した。
政治詳細は「マルタの政治(英語版)」を参照首都バレッタの裁判所。

国家元首たる 大統領は任期5年で、立法府である代議院によって選出される(複選制)。全ての執行権は大統領によって直接的または間接的に行使されるが、基本的には儀礼的・形式的地位である。詳細は「マルタ総督」および「マルタの大統領」を参照

行政府の長である首相は、代議院選挙後に第1党の党首が大統領により指名され就任する。代議院の信任を失った場合は辞職する(議院内閣制)。詳細は「マルタの首相」を参照

代議院は任期5年の一院制で、原則として定数は65議席となっている。比例代表制選挙により選出されるが、選挙の結果、いずれの党も単独過半数の議席を得ることができなかった場合は、もっとも得票率が高かった党に対してさらに最大4議席を追加配分し、単独過半数を確保させる。これは二大政党制が確立しているマルタにおいて、例えば第1党が32議席、第2党が30議席、第3党が3議席という結果になった場合、国民全体の中で少数の支持しか得ていない第3党が連立政権の発足および維持において過剰な影響力を行使しうる事態に陥るのを回避することにより、民意の国政への正確な反映よりも、政局の安定を重視した制度である。詳細は「マルタの政党(英語版)」を参照

2017年、パナマ文書を元にマルタ政府要人の租税回避の関係を追及していた記者ダフネ・カルーアナ・ガリジアが爆殺される事件が発生した[3][4]。マルタはイタリアのマフィアのオンライン賭博の温床になっているという指摘もあり[3]、反マフィア団体はマフィア排除の必要性を求めている[5][6]
国際関係詳細は「マルタの国際関係(英語版)」を参照マルタ外務省で開催された東北地方太平洋沖地震の被災者を支援するコンサート
冷戦終結の舞台

マルタは、東西冷戦の終結を告げる歴史的なマルタ会談の舞台としても知られる。

1989年12月3日、当時のミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦最高会議議長ソ連共産党書記長)とジョージ・H・W・ブッシュアメリカ大統領)のふたりが、マルタで米ソ首脳会談を開催して戦後44年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピールし、欧州新秩序づくりへ向けての一致協力をうたった。

東西冷戦が1945年ヤルタ会談から事実上始まり、マルタ会談で終結したことから、マルタ会談については「ヤルタからマルタへ」というキャッチフレーズで語られることも多い。
日本との関係詳細は「日本とマルタの関係」を参照

1862年1858年にイギリス、フランスなど5カ国と個別に締結された修好通商条約の修正を求めて派遣された文久遣欧使節団が訪問している[7]

第一次世界大戦中の1917年6月11日日英同盟に基づきイギリス側に参戦し、地中海に派遣されていた日本海軍駆逐艦」が、マルタへの帰還途上で敵艦の攻撃により大破した。その戦死者を葬る「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」がある[8][9]

1921年4月、皇太子時代の昭和天皇が訪問し、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」に拝礼している[7]

2017年5月27日、安倍晋三内閣総理大臣(当時)がタオルミーナサミットの帰路にマルタ島を訪問し、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」に拝礼すると共に[10]、当時のマルタ共和国首相ジョゼフ・ムスカットとの会談を行っている[11]

軍事詳細は「マルタの軍事」を参照

陸海空の各戦力を有する。兵員は約1,600名で志願制度[12]。マルタ軍の設立は共和制となった1974年のことである。
地理詳細は「マルタの地理(英語版)」を参照国土風景

マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。マルタ島ゴゾ島コミノ島、無人島2島の5島よりなる[13]

海岸線が変化に富むため、良港が多い。地形は低い丘陵や台地からなり、最高地点はマルタ島内の標高253mの丘陵である。

気候は地中海性気候のため、冬は温暖で雨が多く、夏は暑く乾燥している。
地方行政区分地形図詳細は「マルタの地方行政区画」および「マルタの都市の一覧」を参照

地方行政区画は、68の市(町・村)に分かれる。県や州に相当する国と市の中間レベルの地方行政単位はない。
経済詳細は「マルタの経済(英語版)」を参照ゴゾ島を結ぶフェリー。バレッタ港。マルタ自由港。マルサシュロック港マルタ国際空港、マルタ航空の拠点。

18世紀までは綿花タバコの栽培、造船業が中心で、造船業はイギリス軍にとって有用なものだった。1854年のクリミア戦争のように、戦時の度にマルタ経済が繁栄した。1869年のスエズ運河の開通後は船舶の寄港地として賑わうこととなった。しかし19世紀末以降、大型船の就航により、燃料補給のための寄港の必要性が減少し、マルタの経済は縮小。第二次世界大戦が終わった1940年代後半には特に深刻な危機に陥った。現在のマルタは、国内にエネルギー資源はなく、石灰岩が産出されるのみである。食料自給率も20%にすぎない。全人口をカバーできる水資源はないため、飲料水はイタリアなどから輸入している。

経済的に有利な点は、欧州に近く地中海の中央に位置することと、労働者が勤勉なことである。貿易を中心とした経済となっており、電子、繊維、観光が主要産業である。とくに観光インフラは近年整備され、良質なホテルがある。また、映画製作も成長産業で、巨額予算の外国映画のロケ地として誘致している。

貿易や観光以外に金融にも力を入れている。税率が低いタックス・ヘイヴンとして多くの企業・資金を呼び込んでいる。規制も緩く、仮想通貨企業が進出している[14]

資源や経済の乏しさを補うために、教育拡充を重要視し、政府は教育を無料にして将来の経済成長を支える人材育成に励んでいる。


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