マルタ騎士団
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11世紀十字軍時代のエルサレムに発祥した聖ヨハネ騎士団が現在まで存続したものであり、ロドス島及びマルタ島における旧来の領土を喪失しているため国土を有さないが、主権実体として承認して外交関係を有する国が112カ国ある[1][5]国際連合ならびに欧州連合(EU)にオブザーバーとしても参加している[6]

現在世界120カ国で医療などの慈善活動を実施し、世界中に12の管区、48の国家支部、133の外交団、33のボランティア隊を展開する[7]。また全世界に1万3,500名の騎士、9万5,000名のボランティア、5万2,000名の有給職員を擁している[1]が、実際にマルタ諸島に住んでいるのは100人ほどである[8]ロレート巡礼を行うマルタ騎士団員

マルタ騎士団は国際法上認められた主権実体として、EUに正式に認められたパスポート[9]、独自の通貨切手を発行している。パスポートの表紙は赤色で、騎士団の外交活動に携わる約500名の騎士が所持しており、騎士団幹部11人がマルタ騎士団の「国籍」を有している[1]

2022年6月、日本国籍で約90年ぶりの騎士として武田秀太郎が叙任されたことが発表された[10]

紋章

団章

マルタ騎士団外交パスポート

歴史詳細は「聖ヨハネ騎士団」を参照

マルタ騎士団は、1048年頃にアマルフィ商人により巡礼保護を目的としてエルサレムに設立された聖ヨハネ病院にその起源を持つとされる。第1回十字軍において聖ヨハネ病院は、福者ジェラールの下、多くの騎士により信仰や人種を問わず治療を行った。彼らは病院騎士(ナイト・ホスピタラー)と呼ばれた。

1113年教皇パスカリス2世教皇勅書により聖ヨハネ病院は正式に騎士修道会聖ヨハネ騎士団)として認可された。十字軍勢力がパレスチナから追われた後はまずキプロス島、次いでロドス島を本拠とし、イスラム教徒に対する聖戦の実行者として1365年アレキサンドリア十字軍1396年ニコポリス十字軍1480年の第一次ロドス包囲戦(英語版)勝利などに貢献した。

1522年オスマン帝国との第二次ロドス島包囲戦に敗れると、騎士団は拠点をマルタ島に移し、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。騎士団は宮殿や教会、新しい防衛砦や庭園を建設するとともに、当時の西洋世界で最大規模であった大病院と、解剖学外科学の学院を設立、マルタ島を大きく変貌させた。

1565年のオスマン帝国とのマルタ包囲戦において、総長ジャン・ド・ヴァレットに率いられた騎士団は島を守り抜いた。この戦いで騎士団員の8割が死傷したが、オスマン帝国に16世紀最初の敗北を与えた。その後も騎士団は軍事集団として、レパントの海戦などの異教徒との戦いにおいて歴史的に重要な役割を果たした。

1798年ナポレオン・ボナパルト侵攻されたマルタ騎士団は、キリスト教徒に対し武器を取ることを禁じる掟によりマルタ島を離れることを余儀なくされた。領土を失ったマルタ騎士団はその後もマルタ島への復帰を国際社会に働きかけたものの、遂にその悲願が叶うことはなかった[11]1822年、ヴェローナ会議(英語版)において領土喪失後もマルタ騎士団が国家主権を維持していることが承認され、国際法上の「主権実体」としての地位を確立した。

1834年、マルタ騎士団はその本拠地をローマへと移すことを決定する。以降、マルタ騎士団は軍事的任務から離れ[12]、国際慈善活動に注力するようになる。

1994年、国際連合総会オブザーバーの地位の付与が決定された[13]

聖ヨハネ准司教座聖堂(マルタ島、マルタ騎士団建設の聖堂、16世紀)

聖ヨハネ大病院病棟(マルタ島、マルタ騎士団建設の病棟、16世紀)

対異教徒に要塞化されたマルタ島ヴァレッタ(16世紀)

クラック・デ・シュヴァリエ(シリア、十字軍におけるマルタ騎士団建設の城塞、12世紀)

対外関係.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  外交関係のある国   その他の関係のある国

マルタ騎士団はイタリアドイツロシアスペインをはじめ国際連合加盟国過半数にあたる112か国と外交関係を持ち、在外公館を設置している[5]。また、フランススイスなど5か国とは公的関係を、パレスチナと特命全権大使レベルの関係をそれぞれ有している[14]ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンへの信任状捧呈式に臨むマルタ騎士団駐ロシア大使

故地のマルタ共和国とも1998年に条約を締結し、マルタ国内にある聖アンジェロ砦(英語版)の一部に治外法権が認められている。また、もう一つの故地であるロドス島を領有するギリシャとも2021年に外交関係を樹立した[5]

国際連合では総会オブザーバーの待遇を受けるが、バチカン市国のような非加盟の国家としての扱いではなく、「政府間組織以外の実体」として、国際赤十字国際オリンピック委員会などの非政府組織と同じ扱いとなっている[6]

アマチュア無線の世界では、マルタ騎士団は国籍符号「1A」を用いており、たとえばクラブ局(局名:1A0KM)が存在している。この「1A」は、国際電気通信連合(ITU)がマルタ騎士団に割り当てたものではなく、アマチュア無線のみの独自の規定である。同様な例は、一部の領有権紛争対象地などの"帰属地未定区域"にも見受けられる。

ローマにあるマルタ騎士団総長公邸

ローマにあるマルタ宮殿(中央政府)

チェコ共和国マルタ騎士団大使館

聖アンジェロ砦(マルタ騎士団が治外法権を有する)


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