マルセル・プルースト
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特に叔父の別荘には春から初夏にかけて長い期間滞在するのがプルースト家の習慣になっていた[9]

また、パリ南西100キロメートルほどの場所には、父の出身地である田舎町イリエがあり、ロワール川が近くに流れる豊かな自然に囲まれたこの場所にも、一家はたびたびバカンスに出かけた[9][15]。この町がのちの『失われた時を求めて』の主要な舞台となるコンブレー(フランス語版)のモデルとなった土地である[9][15]。同地はこの作品にちなんで「イリエ=コンブレー(フランス語版)」が正式名称となり、プルースト巡礼の聖地となっている[11][15]

しかし、1881年春に9歳(10歳の誕生日前)のマルセルは、ブローニュの森を散策後に喘息の発作を起こした[1][5][16]。それ以来、花粉と外気が体に障ることを心配した父の判断で、イリエに行くことを禁じられてしまった。喘息の持病はプルーストに生涯付きまとい、このために彼は自由に旅行することができず、またを愛していたにもかかわらず、彼自身は生花に近づくことができなかった[16]。弟ロベールの方は健康に育ち、父と同じ医学の道を継ぐことになるが、病弱なマルセルは『千夜一夜物語』、『アンナ・カレーニナ』などの文学に親しむようになる[16][17]
学生時代15歳のマルセル(1887年3月)

マルセル・プルーストは、パープ・カルパンチエ初等学校で2年過ごした後、1882年10月にセーヌ河の右岸(北側)にあるブルジョア気質のフォンターヌ高等中学(のちのコンドルセ高等中学校)に入学した[18][注釈 2]。このリセ(高等中学)は、自由主義的な気風で知られる名門校であり、プルーストの学友にはエッフェルの息子や、ビゼーの息子のジャック・ビゼーロスチャイルド家の子息、劇作家リュドヴィク・アレヴィ(フランス語版)の息子のダニエル・アレヴィ、ジャック・エミール・ブランシュ(フランス語版)などが混じっていた[18]

プルーストの成績は悪くはなかったがむらがあり、また病気のために欠席が多く、このために1年の留年も経験している[18]。15歳の頃には、オーギュスタン・ティエリの著書を熱心に読んだ[5]。教師の中では、最終学年に習った哲学科のアルフォンス・ダルリュ教授に深く影響された[5]。後にはダルリュの個人授業も受けて(病気のため家庭教師が何人かついた)、その唯心論的な哲学に大いに感化を受けた[18]

授業が午後3時に終わると、プルーストは他の少年たちとシャンゼリゼ公園に行き木立の回りを走り回って遊んでいた[5][18]。中には少女も混じっており、その中には『失われた時を求めて』で語り手の初恋相手ジルベルトのモデルになったポーランド貴族の娘マリー・ド・ベナルダキ(フランス語版)もおり、マリーに強い愛情を抱いた[5][18]大学時代のプルースト(中央)。左はロベール・ド・フレール(フランス語版)、右がリュシアン・ドーデ(フランス語版)(アルフォンス・ドーデの次男)。母は同性愛的な雰囲気が漂うこの写真を他人の目にさらすことを息子に禁じた[19]

リセ時代はプルーストが同性愛的な友情に目覚めた時期でもあり、前述の同性の学友ダニエル・アレヴィに愛情濃やかな手紙を送るなどしている[18]。17歳のときには学友ジャック・ビゼーと恋に落ちたが、ビゼーの側からの拒否に遭っている[20]

またプルーストは彼らの母親にも関心を持ち、夫人らが出入りする社交界に憧れたりしていて彼女らのサロンに近づくようになる[4][21]。プルーストが文学にはっきりと意識を向けたのもこの時期だった。すでに幼年時代から母や祖母の影響で古典文学に親しんでいた彼は、友人たちの前でラシーヌユゴーミュッセラマルチーヌボードレールの詩句を暗誦してみせ彼らを驚かせている[17]。リセの最終学年時には、文学好きの友人たちとともに同人雑誌『月曜評論』『第二学年評論』『緑色評論』『リラ評論』を作っていた[17]

1889年10月にバカロレアを取得したプルーストはパリ大学で学ぶことになるが、その前にオルレアンで1年間の兵役に就いた[5][22]。当時フランスには自発的に志願すれば3年間の兵役が1年に短縮される恩典制度があり、プルーストの一家はこれを利用したのである[22]。当時フランスの軍人(特に将校)は社交界にも出入りできる存在であった。プルーストは厳しい訓練を喘息のために(あるいは父親が手を回したためか)免れたこともあって優雅な軍人生活を送り、このためにプルーストはフランスの作家の中でもとりわけ軍隊に友好的な文学者となった[22]

軍隊除隊後、1890年11月にパリ大学に入学したプルーストはパリ大学法学部に籍を置き、その後自由政治学院文学部にも通い、1895年までに法学と哲学と文学の学士号を取得している[5][22][23]


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