1870年になると、最初の妻を亡くし、投資の失敗もあって、邸を売却しなければならなくなった。再婚したイタリア人の妻とジュネーヴに滞在した後、1872年にパリに戻り、翌年からモンマルトルに住むようになった。友人となったエドガー・ドガやジュゼッペ・デ・ニッティスに勧められて、戯曲の執筆を徐々に止めて、絵や版画制作に専念するようになった。1873年にバイロンの詩のフランス語訳を発表するが、1875年には作家活動は辞めた。
モンマルトルの芸術家が集まった、カフェ・ゲルボワやカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌの常連となり、エドゥアール・マネやエミール・ゾラと親しくなった。「ボヘミアニズム」の芸術家の象徴として、マネやドガの絵画のモデルとなり、マネに影響を受けたスタイルで絵を描くようになった。ドライポイント版画の名手と評価されて多くの作品を製作し、多くの芸術家のポートレートをドライポイントで製作した。
1876年に7点の油絵と6点の版画を第2回印象派展に出展した。1879年にサロン・ド・パリに入選し、1883年にも選外佳作を得た。
1880年にニースに移り、1888年に再びパリに出て、活発に活動し、1890年の国民美術協会(Societe nationale des beaux-arts)の再建にも貢献し、国民美術協会のシャン・ド・マルスでの展覧会(Salon du Champ-de-Mars)に出展した。1895年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。
作品
「ドガの肖像」
ジョセファン・ペラダン-作家(1891)
「乳母車」(1870年代後半)
La mere Javoune(1882)
フィリップ・ビュルティ
ドライポイント(1875)
Mou-Mou(1879)ドライポイント
ベルト・モリゾ
ドライポイント
犬を持つ女性
脚注^ Bernard Duplaix, ⇒Marcellin Desboutin (1823-1902) op de website van Cerilly.
^ Clement-Jamin, La Curieuese vie de Marcellin Desboutin, peintre, graveur, poete. 1922, p. 8.
^ Clement-Jamin, 1922, p. 24
^ Marcellin Desboutin, catalogus van de Galerie Paul Proute, december 2016.
参考文献
Noel Clement-Janin, La Curieuse Vie de Marcellin Desboutin, peintre, graveur, poete, H. Floury, Paris, 1922
Bernard Duplaix, "Marcellin Desboutin Prince des Bohemes", Les Imprimeries Reunies, Moulins-Yzeure 1985
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