マルカム4世のイングランドに対する態度を屈辱と反発したスコットランド貴族たちは南西部のギャロウェイ(英語版)などで反乱を起こしたが、成長したマルカム4世は反乱に立ち向かい、1160年から1164年にかけて祖父が登用したノルマン人貴族に北部を討伐させ、ギャロウェイも併合して豪族たちを制圧した。しかし、翌1165年に病を得て23歳で没した。独身で子がなかったため、王位は弟のウィリアム1世が継いだ[3][5]。
脚注^ a b 森、P72。
^ トランター、P75。
^ a b c 松村、P447。
^ 森、P72 - P73、青山、P333、トランター、P76、朝治、P235、P237。
^ 森、P73 - P74、青山、P331、P333、トランター、P76 - P77。
参考文献
森護『スコットランド王室史話』大修館書店、1988年。
青山吉信編『世界歴史大系 イギリス史1 -先史?中世-』山川出版社、1991年。
ナイジェル・トランター著、杉本優訳『スコットランド物語』大修館書店、1997年。
松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。
朝治啓三・渡辺節夫・加藤玄編著『中世英仏関係史1066-1500 ノルマン征服から百年戦争終結まで』創元社、2012年。
関連項目
スクーン (スコットランド)
フォークランド (スコットランド)
表
話
編
歴
スコットランド王(1153年 - 1165年)
アルピン朝
ケネス1世848-858
ドナルド1世(英語版)859-863
コンスタンティン1世(英語版)863-877
エイ(英語版)877-878
ギリック(英語版)878-889
ヨーカ(英語版)878-889
ドナルド2世889-900
コンスタンティン2世(英語版)900-942
マルカム1世(英語版)942-954
インダルフ(英語版)954-962
ダフ(英語版)962-967
カリン(英語版)967-971
ケネス2世(英語版)971-995
コンスタンティン3世(英語版)995-997
ケネス3世(英語版)997-1005
マルカム2世1005-1034
アサル朝
ダンカン1世1034-1040
マリ朝
マクベス1040-1057
ルーラッハ1057-1058
アサル朝
マルカム3世1058-1093
ドナルド3世1093-1094
ダンカン2世1094
ドナルド3世1094-1097
エドガー1097-1107
アレグザンダー1世1107-1124
デイヴィッド1世1124-1153
マルカム4世1153-1165
ウィリアム1世1165-1214
アレグザンダー2世1214-1249
アレグザンダー3世1249-1286
ユングリング家
マーガレット1286-1290
ベイリャル家
ジョン・ベイリャル1292-1296
ブルース朝
ロバート1世1306-1329
デイヴィッド2世1329-1371
ベイリャル家
エドワード・ベイリャル1332-1356
ステュアート朝
ロバート2世1371-1390
ロバート3世1390-1406
ジェームズ1世1406-1437
ジェームズ2世1437-1460
ジェームズ3世1460-1488
ジェームズ4世1488-1513
ジェームズ5世1513-1542
メアリー1世1542-1567
ジェームズ6世1567-1625
チャールズ1世1625-1649
チャールズ2世1660-1685
ジェームズ7世1685-1688
メアリー2世1689-1694
ウィリアム2世1689-1702
アン1702-1707
1707年イングランド王国と合同してグレートブリテン王国が成立、アンはグレートブリテン女王として1714年まで在位。