マリーン朝
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キリスト教国、ザイヤーン朝との戦争

1258年に即位したアブー・ユースフ・ヤアクーブはマリーン朝の君主の中で最初に「アミール・アル=ムスリミーン」の称号を使用した君主であり、加えてムワッヒド朝を滅ぼしたことより、実質的な建国者と見なされることが多い[10]

1269年9月にユースフ・ヤアクーブはムワッヒド朝の首都マラケシュを攻略する[11]。しかし、ムワッヒド朝が滅亡した後も大アトラス山脈のアラブ遊牧民は中央の意図から離れた動きをし、各地に封じられた王族たちは中央政府に反抗的な姿勢を見せた[12]

ユースフ・ヤアクーブは在位中に4度にわたるイベリア半島遠征を実施した。イベリア半島での「聖戦」は国家の宗教的理念の強化[13]、そしてマラガアルヘシラスなどの半島南部の国際貿易の拠点の獲得[14]を目的としていた。1264年グラナダを支配するイスラーム国家ナスル朝の要請に応じて、イベリア半島各地で蜂起したイスラーム教徒を支援するために1,000の騎兵を派遣した[15]1275年にカスティーリャ王アルフォンソ10世が国を留守にしていた隙を突いてユースフ・ヤアクーブはイベリア半島に上陸し、ナスル朝から貸与されたタリファ、アルヘシラス、ジブラルタルを拠点とした[16]。1275年9月にマリーン朝とナスル朝の連合軍はエシハでカスティーリャ軍に勝利を収め、翌1276年初頭に撤退する[16]1282年にカスティーリャで王子サンチョがアルフォンソ10世に反乱を起こした際にアルフォンソ10世はマリーン朝に援軍を要請し、ユースフ・ヤアクーブはアルフォンソ10世と共闘してサンチョを攻撃した[16]。サンチョ4世がカスティーリャ王に即位した後、1286年にマリーン朝とカスティーリャの間に和平が成立し、クルアーン(コーラン)の写本が贈られた[17]

アブー・ヤアクーブ・ユースフは、1291年にカスティーリャ艦隊に敗北し、翌1292年にタリファ包囲に失敗する。1296年からアブー・ヤアクーブ・ユースフはザイヤーン朝との戦争を開始し、1299年からのザイヤーン朝の首都トレムセンの包囲は長期に及んだ。包囲の際に、トレムセンから南西4km離れた地点にマンスールという名の都市が建設され、マンスールには宮殿、モスク、旅館、ハンマームスークなどの様々な施設が建設される[18]。アブー・ヤアクーブ・ユースフの時代には、エジプトマムルーク朝を除く北アフリカの勢力がマリーン朝の権威を認めた[19]1307年にアブー・ヤアクーブ・ユースフはマンスールの宮殿で暗殺され、跡を継いだアーミルは包囲を解いて撤退し、マンスールはトレムセンの住民によって取り壊された[20]

アーミル、スライマーンの跡を継いだウトマーン2世が即位した当初、歴代国王の遠征によって国庫は逼迫し、王族たちは政府に反抗していた[21]。ウトマーン2世はナスル朝の支配下に置かれていたセウタとアルヘシラスを奪回し、ハフス朝、ザイヤーン朝と和平を結んだ。また、イベリア半島のマリーン朝の領地をナスル朝に譲渡し、ジブラルタル海峡を自然の国境に定めた[22]
最盛期

アブー・アルハサン・アリー、その子のアブー・イナーン・ファーリスの時代にマリーン朝は最盛期を迎える[2]

アブー・アルハサンは即位当初ウトマーン2世の政策を継承して平和路線を取っていた[21]。アブー・アルハサンの即位後に国家を悩ませていた内紛が鎮圧され、マリーン朝では再び征服事業が開始される。ザイヤーン朝から攻撃を受けていたハフス朝を支援する名目を掲げ、1335年にアブー・アルハサンはザイヤーン朝の領土に進攻した[23]1337年にマリーン朝はトレムセンを占領し、危機を覚えたハフス朝はマリーン朝との同盟を破棄した[22]

イベリア半島においてもアブー・アルハサンは攻勢に出、1333年にアルヘシラスを占領する。1340年にキリスト教国の艦隊を破ったアブー・アルハサンはイベリア半島に上陸し、9月半ばにナスル朝とともにタリファに包囲を敷いた[24]。しかし、10月30日にサラードの戦い(英語版)でマリーン朝はキリスト教国の連合軍に決定的な敗北を喫する[25]。以後マリーン朝はイベリア半島の城砦に守備隊を置いてナスル朝を支援したが、遠征事業を行うことは無くなった[25]1344年にアルヘシラスはカスティーリャに奪還され、マリーン朝の最後の拠点となっていたジブラルタルも1374年にナスル朝に併合される[26]

ハフス朝で起きた王位を巡る内紛に乗じてマリーン朝は東に軍を進め、1347年にハフス朝の首都チュニスを占領し、ハフス朝を併合する[23]


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