マリンバは移調楽器・移動オクターヴ楽器ではない。近縁楽器のシロフォン(記譜より実音が1オクターブ上)、グロッケンシュピール(記譜より実音が2オクターブ上)とは異なる。
歴史グアテマラのマリンババンド
起源はアフリカにあると言われる。アフリカのバントゥー語群で、「リンバ」は木の棒を意味し、「マ」が複数の名詞クラス接頭辞であるから、「マリンバ」は、多数の木の棒から成る楽器をあらわす。
奴隷として連れてこられた黒人によってラテンアメリカにこの原マリンバが伝えられたと考えられている。マヤ人は木の板を並べた下にひょうたんをぶら下げて共鳴管として使用した楽器を使用し、キチェ語でコホム(k’ojom)、スペイン語で「ひょうたんのマリンバ」を意味する「マリンバ・デ・テコマテス」(marimba de tecomates)と呼んだ[6]。
19世紀末のグアテマラにおいて、セバスティアン・ウルタード(Sebastian Hurtado)はこの楽器を十二の半音が自由に演奏できるように改良した[7]。これが現在のマリンバの直接の先祖にあたる。ウルタードはグアテマラの200ケツァル紙幣に肖像が描かれている[8]。1978年にマリンバはグアテマラの国の楽器に指定された[6]。「マリンバ・ドブレ」と呼ばれるこの楽器は6オクターブからなる大きな楽器(4人がかりで演奏される)と3オクターブの高音用の楽器(3人で演奏される)の組み合わせで使用され、共鳴管は木製だった[6]。
グアテマラのマリンバはコスタリカにも伝わり[9]、1996年にマリンバはコスタリカの国の楽器に指定された[10]。メキシコでも南部のチアパス州、タバスコ州、オアハカ州を中心にマリンバが古くから演奏されており[11]、メキシカン・マリンバ (es:musica de marimba mexicana) として民族音楽のスタイルを形成している。
ラテンアメリカのマリンバ音楽は米国に持ち込まれ、1910年代には米国での製作が始まった。シカゴのディーガン(Deagan) は、木製パイプを金属製パイプに取り替えた。1920年代には音板の裏側を削って音程を変え、同時に倍音を調整する技術が発達した[12]。演奏スタイルは、従来一つの楽器を複数人で叩くスタイルであったのが、現在の西洋伝統音楽の独奏者のように演奏するスタイルへ徐々に変貌した。Deaganは音域の拡張をヤマハと同様に行ったメーカーでもある。
共鳴管によってもたらされた大きな音量により、1940年代にはポール・クレストン『マリンバ小協奏曲』(1940年)やダリウス・ミヨー『マリンバ、ヴィブラフォンと管弦楽のための協奏曲』(1947年)などの協奏曲も作られるようになった。
日本では1950年にキリスト教の伝道のために活動したラクーア音楽伝道団によってマリンバが広められた[13]。
特に開拓者として、マリンバ演奏のみならず作曲や新作の積極的な委嘱を進めた安倍圭子の貢献が大きい。近年ではマリンバを複数台使用したアンサンブルをマリンバオーケストラとして扱うなど、急速に発展している楽器の一つである。ソロ・マリンバ向けの楽曲も多く作曲されており、非常に高度な技術を要する曲も増えてきている。
近代的なマリンバの発展の一方で、より素朴なマリンバも演奏されている。1960年代にはジンバブエのブラワヨにあるクワノンゴマ・アフリカ音楽大学で全音階的なマリンバが教育に採用されて大発展し(ジンバブエの音楽を参照)、南アフリカ共和国にも伝わってマリンバ音楽が盛んになった[14]。
奏法
グリップ