アメリカ合衆国では、1840年に医薬調合品として大麻の利用が可能になり、1842年から1890年代まで処方される薬の上位にあった。嗜好品としてはオスマン帝国のスルタンであるアブデュルハミト2世が伝えたとされ、1876年の独立100周年を記念するフィラデルフィア万国博覧会のオスマン帝国のパビリオンでは大麻の吸引が行われた。その後、アメリカ北部で大麻を吸引できる店が開店し、上流階級や地位のあるビジネスマンがお忍びで通った。禁酒法時代にはクラブなどの公共の場で酒の代わりとして振る舞われていた。しかし、1915年-1927年には南西部州を中心に医療目的以外の大麻使用が州法で非合法化され始め、禁酒法の廃止や治安悪化、人種差別や移民問題[注 3]、合成繊維の普及と相まって、1937年に連邦法によって非合法化された。1960年代にはヒッピー・ムーブメントで大麻使用が大衆化され、ベトナム戦争の戦場で、大麻を吸うアメリカ軍兵士が急増した。
1980年代までの取り締まりは、アメリカでの摘発を免れるための屋内栽培を増加させ、生産技術の向上を招き、その技術は世界に広まった[42]。医療大麻については、連邦法との板挟み状態にあり、医療目的で大麻を使用する患者、薬局などが逮捕や強制捜査を受けるなどのグレーゾーンであったが、2009年2月に医療大麻に対する取り締まりが終結された[43]。
宗教面では、前1200-前800年にはバラモン教の聖典『ヴェーダ』から医薬や儀式、シヴァ神への奉納物として使用されたと記されている。その他には前600年のゾロアスター教の経典『アヴェスター』では麻酔薬・鎮静剤として言及され、500年-600年にはユダヤのタルムードにおいても大麻の使用が記載されている。また、日本の神道とも関わりが深く、古代より天皇即位の大嘗祭では麻の織物「あらたえ」が作られてきた[44]。古墳からも出土されており[45]、穢れを祓う紙垂(しで)は古くは麻の枝葉や麻布であったとされるし、神職がお祓いに使う大幣(おおぬさ)は大麻と書き、麻を使用している[注 4]。ほかにお盆の迎え火の風習がある[注 5]。
1912年の万国阿片条約は、あへんやコカインならびに、これらから誘導された薬品が引き起こす害毒を禁止する目的で締結されたが、大麻に関しては統計的・科学的見地から研究されることが望ましいとされた[47]。1924年11月20日、エジプト代表モハメド・エルグインデイは「ハシシは、オピウム以上ではないにしても、それと同程度に有害である」と発言し、ハシシの追加が要求された[48]。「エジプトの精神障害者の30-60%はハシシによる」とのエルグインデイの発言は中国やアメリカ代表団の支持を取りつけた[48]。イギリスをはじめとするヨーロッパの一部の植民地主義国の反対や[48]、アフリカやアジアなど使用習慣のある国は消極的であったが、インド大麻製剤は学術・医療に制限され、貿易も取り締まられることとなった[48]。1961年の麻薬に関する単一条約に引き継がれる[48]。その後、ほとんどの欧州諸国で非合法化されてきたが、1976年にオランダで寛容政策が行われ、コーヒーショップやユースセンターでの大麻販売を認めた。
2010年10月、メキシコ軍はメキシコのティフアナ市郊外で民家などから大麻105トンを押収。末端価格は総額42億ペソ(約280億円)相当に上り、大麻の1度の押収量としては世界最高記録とされる。
種類乾燥大麻大麻樹脂大麻樹脂
嗜好品としての大麻は、『2006年世界薬物報告』に従い、以下の3種類に分類する[2]。 花穂や葉を乾燥させた大麻加工品で、「マリファナ」や「ガンジャ」「ウィード」などと呼ばれる[2]。花穂を「バッズ」、無受精の雌花の花穂を「シンセミア」という[42]。乾燥大麻は、嗜好品としての大麻の最も一般的な加工方法であり、世界で押収された大麻のうち79%が乾燥大麻である[49]。花穂のテトラヒドロカンナビノール(THC)及びカンナビジオール含有率は、他の部位に比べて高い。
乾燥大麻