ファシズムから避難した多くの人たちのように、カステルヌオーヴォ=テデスコもハリウッドに行き着いた。ハリウッドではハイフェッツの援助のもとに、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約して映画音楽の作曲家となった。それから15年の間に、MGM以外のものも含めて、約200点の映画に楽曲を提供した。ヘンリー・マンシーニ、ジェリー・ゴールドスミス、ジョン・ウィリアムズやアンドレ・プレヴィン、スコット・ブラッドリーらの、後輩商業音楽作曲家に対する影響は大きい。自作に対する映画音楽からの影響を否定したが、オペラがヨーロッパの芸術形態であるように、映画は本質的にアメリカ的な芸術形態なのだと割り切っていた。アメリカ合衆国でも新しいオペラの作曲を続け再起を賭けたものの、《終わりよければ全てよし Op. 182》と《サウル(英語版、イタリア語版) Op. 191》は生前および没後も上演されることはなく、娯楽作品として構想された《真面目が肝心 Op. 198》が死後上演された最後のオペラになった。
ハイフェッツが引退コンサートで最後に演奏したアンコール曲目は、カステルヌオーヴォ=テデスコの《海のさざめき》であった。前衛音楽の方向に舵を切ることがアメリカへの移住でなくなったため、ギター業界と映画業界以外ではほとんど忘れ去られている。 カステルヌオーヴォ=テデスコのスコアとしてよく知られているのはルネ・クレールの『そして誰もいなくなった』 (1945)、チャールズ・ヴィダーの『カルメン』 (1948) などであるが、クレジットされている作品以外にも多数の映画音楽を作曲している(たとえば『名犬ラッシー 家路』 (1943) )。名前がクレジットされていない作品の多くは、時間的制約ほかさまざまな理由で他の作曲家に手を貸したり、低予算の映画に既存の楽曲を提供したりした物である。
映画音楽
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 名前はマーリオがイタリア語に近いが、日本語ではマリオと表記するのが一般的。
出典
文献
William Wallace McMullen: Soloistic English Horn Literature from 1736?1984. Pendragon Press, 1994 ISBN 0-918728-78-9.
Roland von Weber: Castelnuovo-Tedesco. In: The Book of Modern Composers. New York 1956.
David Ewen (Hrsg.): American Composers today. New York 1952.
外部リンク
Mario Castelnuovo-Tedesco Official website
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ
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