1917年にロシア革命(二月革命)が勃発すると、臨時政府の司法大臣(後、首相)となったアレクサンドル・ケレンスキーによって釈放される。刑務所爆破の容疑でペトログラードのペトロパヴロフスク要塞に収監されるが、短期間で釈放された。シベリアのチタでソビエトの活動に参加し、停戦やブルジョワ諸政党との連立拒否などを主張している。その後、ザバイカル州を経てペトログラードで活動し、第1回全露農民ソビエト大会執行委員に選出された。同年7月に起きた臨時政府に反対する兵士の武装デモに対しては、これを支持した。9月ペトログラード市議会議員に選出された。
スピリドーノワは、社会革命党中央委員会が臨時政府との連立、戦争継続を支持したことに反対した。また、1917年10月、レーニンの率いるボリシェヴィキの十月武装蜂起による政権奪取を支持して、第2回ソビエト大会でソビエト政権が提出した「平和に関する布告」「土地に関する布告」に賛成した。
同年11月、左翼社会革命党の第1回党大会が開かれると、事実上の指導者となる。左翼社会革命党はボリシェヴィキとプロレタリア独裁の点で認識を共有していたが、ボリシェヴィキの暴力的、急進的政治戦術には反対した。左翼社会労働党は自らを旧農奴層を代表する政党であると規定し、党の綱領で農民に対して地主から没収した土地の分配を要求していた。あくまでマルクス主義の原理原則から都市の勤労者を基礎とみなしていたボリシェヴィキとは見解を異にしていた。1917年12月にボリシェヴィキとエスエル左派の連立政権が成立し、スピリドーノワも入閣候補となるが、全露農民ソビエト大会の議長であったこととボリシェヴィキに対する懐疑から入閣を固辞している。結局、左翼社会革命党は、ブレスト=リトフスク条約の締結とボリシェヴィキの農業政策に反対して、1918年3月ソビエト政府から離脱した。同年7月スピリドーノワは、第5回ソビエト大会でボリシェヴィキに対する弾劾演説を行い、左翼社会革命党はモスクワ中心部で反乱を起こすが、鎮圧されスピリドーノワをはじめとする左派エスエルは逮捕、拘束された。以後、逮捕や脱走、軟禁などを繰り返すこととなる。アナーキストのエマ・ゴールドマンは1920年7月にスピリドーノワと秘密裏に会った。ルイーズ・ブライアントも同様に会見している。
スターリンによる大粛清期には、他の左翼社会革命党員らとともに逮捕され、ウファに追放された。1937年3月8日、左翼社会革命党の地下活動でヴォロシーロフの暗殺を準備したとして懲役25年の判決を受け、ナチスドイツがソ連に侵攻した直後の1941年9月11日、オリョール近郊で、NKVDによるメドヴェージェフの森の虐殺(ロシア語版)により、オリガ・カーメネワ(レフ・トロツキーの妹で、レフ・カーメネフの最初の妻)らと共に56歳で銃殺された。1990年と1992年に名誉回復がなされた。
関連書籍
スタインベルグ『左翼エス・エル戦闘史―マリア・スピリドーノワ 1905-1935』鹿砦社、1970年
脚注^ ラテン文字転写: Maria Alexandovna Spiridonova
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