マラトンの戦い
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戦線を拡張したため、数列しか編成されなかった アリステイデス率いる中央軍はペルシア歩兵に押し込まれたが、両翼は十分な厚みを持っていたため逆にペルシア軍を敗走させた。両翼の軍は敗走する敵を追わず、そのまま中央部のペルシア軍を包囲して壊滅させ、撤退する敵軍を追撃した。この時、カリマコスを含むギリシア軍の死者192人に対して、ペルシア軍の死者は6,400人に達したとされる。また、ペルシア艦艇7隻が拿捕された。

スパルタの増援約2,000人は、出立してからわずか2日でアテナイに到着したとされる(アテナイ-スパルタ間の距離は200キロ以上)が、これは全てが終結した後であった。
影響

マラトンの勝利は、アテナイに大きな自信を与えた。マラトンで戦った市民軍はマラトーノマカイと呼ばれ、アテナイ戦士像の理想となり、古典期の陶芸芸術のモティーフとして大きな影響を及ぼした。また、プルタルコスによれば、エウクレス(Eukles)なる兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命したという(他の伝承では走者の名をフィリッピデス(Philippides)とするものもある)。これらは後世の創作である可能性もあるが[1]、これをもとに第1回近代オリンピックでは、アテナイ-マラトン間の走行競技が行われた。

アテナイは、遠征軍を撃退したことによってペルシア宥和政策を完全に放棄し、紀元前488年頃には、僭主残党のヒッパルコス(ヒッピアスの友人であるが、僭主政治には加担していない)が陶片追放され、翌年には、マラトンの戦いでペルシア軍と内通し、盾で合戦の合図を送ったとの風説が流れたアルクメオン家(ペルシア宥和派の一族)の中心人物メガクレスがやはり陶片追放された。

奇襲戦法を思いついたミルティアデスはこの勝利で自信をつけたのか、パロス島遠征を決行するものの失敗する。陶片追放にはならなかったが、市民を欺いたとして高額の罰金を支払わされ、さらにそのショックで戦傷が悪化し、死亡したという。プルタルコスによれば、アテナイ人はマラトンの勝利をペルシア戦争の終結と看做したが、ひとりテミストクレスのみは、これを新たな闘争の始まりと看破したとされる。
マラトンの戦いが描かれた作品

マラソンの戦い』1959年のイタリア映画。マラトンの戦いと、その際のマラソンの起源となったエピソードを描く。ジャック・ターナー監督、スティーヴ・リーヴス主演。

300 〈スリーハンドレッド〉 ?帝国の進撃?』2014年の米国映画。冒頭でマラトンの戦いが描かれるが、実際には戦いに参加していないアテナイテミストクレスがやはり戦場にはいなかったはずのダレイオス1世を討ち取るという描写がされている。

T・Pぼん藤子・F・不二雄「マラトン大会戦」戦闘前夜230kmを駆け抜けた上に、戦闘そのものにも参加して疲労困憊の伝令兵・フィリッピデスを気遣って、眠らせてしまった主人公がエウクレスと名乗って伝令を務める羽目になる。

脚注^ ヘロドトスの『歴史』では、Pheidippides(ペイディッピデス、フェイディッピデス)という俊足の伝令がいて、アテネからスパルタへの約246km走ったことは記されているが、エウアンゲリオンのエピソードは全く触れられていない。第6巻105節参照

参考文献

ヘロドトス著 松平千秋訳『歴史(中)』(岩波文庫ISBN 9784003340523

プルタルコス著 河野与一訳『プルターク英雄伝(二)』(岩波文庫)ISBN 9784003211625

馬場恵二著『ペルシア戦争 自由のための戦い』(教育社)

Philip de Souza『The Greek and Persian Wars 499-386BC』Osprey Publishing ISBN 9781841763583

仲手川良雄著『テミストクレス』(中公叢書)ISBN 9784120032110

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、マラトンの戦いに関連するカテゴリがあります。

マラソン

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外部リンク

『マラトンの戦い
』 - コトバンク

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