マヤ
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ほか野生のシチメンチョウハチシカパカペッカリー、その他の野鳥や魚が食用とされた[18]
食生活

マヤ文明の主食はトウモロコシであり、マヤ地域どの都市においても経済の根幹をなすもので、例外なく広く栽培された。トウモロコシはアトレというトウモロコシタマルと呼ばれる蒸し団子として主に食された。トルティーヤもマヤ高地においては先古典期より食べられていたが、マヤ低地においてはアトレやタマルが主であり、トルティーヤが食べられるようになるのは後古典期に入ってからだった[19]。このほか、各種のカボチャも重要な作物であり、広く栽培された。マヤ文明においてはラモンの木の実が主食となっていたという説が唱えられたこともあったが、当時の地層(日本考古学用語では「土層」)からほとんど出土しないために食糧としてはそれほど使用されていなかったと考えられている[20]香辛料としてはトウガラシが重要だった。マゲイ(リュウゼツラン)の蜜水からつくられるプルケや、蜂蜜からつくられるバルチェ酒という蜂蜜酒は儀礼に用いられた。タバコも重要な儀礼用作物であった。7世紀ごろのパレンケにおいてはすでに神がたばこをくゆらすレリーフが発見されており、このころにはすでに喫煙の習慣がはじまっていたことを示している[21]

カカオは飲料の材料として珍重されており、文明末期には通貨としても使用されていた[22]。カカオは高温多湿のマヤ低地南部における主要交易品ともなっていた。蜂蜜も低地東部において生産され、貴重な甘味として交易品の一つとなっていた。家畜も存在せずなおかつ飼う習慣もなかったために乳製品の飲食文化は全く存在せず、また動物性食品は食したものの都市周辺の開発の進化によって狩猟対象となる野生動物が激減したための消費は少なく、植物性食品が食生活の中心となっていた。衣料原料としては綿花がマヤ地域の全域で栽培された。
交易

マヤにおいて交易は重要であり、北部の塩や中部のカカオ、南部のヒスイや黒曜石などが盛んに交易された。この交易網はマヤ都市間のみにとどまらず、メキシコ高原や中央アメリカといった近隣地域、さらにはアメリカ西部で産出されるトルコ石がマヤ遺跡から出土していることから、近隣文明も含めた大規模な交易網が確認できる。メキシコ高原の諸文明とのかかわりは特に深く、4世紀中ごろにはメキシコ中央高原のテオティワカンの影響がマヤ低地南部のいくつかの土地に見られ、またチチェン・イッツァにおいてトルテカ文明との交流の痕跡が認められるなど、中央高原の諸文明がマヤ諸都市になんらかの政治的影響を与えたとみられる時期も存在する。ただしスペインに侵略されるまでにメキシコ中央高原とマヤ諸都市が同一の政治権力の元に完全に統合されたことはなく、15世紀後半から活発に勢力を拡大したアステカ帝国も、マヤに対しては活発に交易を行うだけで軍事的侵攻を行うことはなかったとされる。
建築

マヤ文明の多くの都市にはピラミッドが建設されていた。ただしエジプトのものとは違い、上部に神殿が建設されており、その土台としての性格が強かった。最古のマヤのピラミッドは、紀元前1000年ごろのセイバル遺跡で確認されたものである[23]。こうしたピラミッドはウィツ()と呼ばれていたように、山岳信仰の影響のもとで人工の山として作られたものだった[24]。こうしたピラミッドは、古いピラミッドを基礎としてその上に新たなピラミッドを作ることが常であり、2016年11月にはチチェン・イッツアで、2層のピラミッドの下に3層目のピラミッドが発見されたと報じられた[25][26]

建築技術も進んでおり、セメント、漆喰、焼成れんがなどを使用し、持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた。
数学・文字

マヤ文明では二十進法を使用しており、また独自にの概念を発明していた。また、高度に発達したマヤ文字を使用していた。数字は、点(・)を1、横棒(?)を5として表現したり、独特な象形文字で表現された(en:Maya script#Numerical system)。絵文書も作られていたものの、それらの多くは1562年ごろにスペインの聖職者であるディエゴ・デ・ランダによって異端の書として焚書されてしまい、現在残る絵文書は4点のみである。
マヤのカレンダー詳細は「マヤ暦」を参照 マヤの天文台 「El Caracol(カタツムリ)

マヤの暦としてもっとも基本的な暦はツォルキンハアブの2つである。前者は一周期を260日(13の数字と20の日が毎日変化する)の周期で、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。後者は1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイェブ月(ウアエブ、ウァイェブ、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ウェヤブ[要出典])を追加することで365日とするものである[27]。ツォルキンとハアブの組み合わせが1旬するのには約52年(365×52 = 260×73)かかり、これをカレンダー・ラウンドという。

なお、この2種類の暦はマヤに固有のものではなく、メソアメリカ全体で用いられた。スペインによる植民地化の後も、20世紀ごろになるまで簡易化した形で残っていた。

ツォルキンとハアブのほかに、紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表された、長期暦と呼ばれるカレンダーも使われていた。


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