マフムード1世_(トゥグルク朝)
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生き残ったデリーの住民の大半も他の地域へと移住した[2]

その後、マフムード・シャーはなんとかしてデリーに戻ったものの、強力な臣下の言いなりにならざるを得なかった[2]。また、1401年にはマールワー・スルターン朝が、1407年にはグジャラート・スルターン朝がそれぞれトゥグルク朝から独立した。

1413年(あるいは1412年)、マフムードは死去し、トゥグルク朝は断絶した。王家の断絶により、王位は権臣であるダウラト・ハーン・ローディーが後を継いだが、翌年ヒズル・ハーンがデリーを占領し、トゥグルク朝は名実ともに終焉を迎えることとなった[2]
脚注^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.148
^ a b c d e ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.149

参考文献

フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 

関連項目

デリー・スルタン朝

ジェノサイド

先代
アラー・ウッディーン・シカンダル・シャートゥグルク朝の君主
1394年 - 1413年次代
(断絶)


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