マフィア
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1957年11月14日、幹部がニューヨーク州アパラチン(英語版)に集合した際(アパラチン会議)、FBIによる大量検挙で初めてマフィアは世に知られる存在となった[21]

1960年代、パレルモの虐殺(英語版)。1963年6月30日、en:Ciaculli massacre。

1980年代、第2次マフィア戦争(英語版)。イタリアとバチカン、南アメリカとアメリカでのロッジP2事件。

1992年に、マフィアに対する捜査を率いて国民的人気を得ていたジョヴァンニ・ファルコーネ判事が、シチリア島のパレルモを車で移動中にサルヴァトーレ・リイナ指揮下のマフィアによって高速道路に仕掛けられた爆弾によって暗殺されたことで、その後イタリア政府がマフィアに対する取り締まりが強化したこともあり、近年では殺人などの凶悪犯罪は減ってきているとされる。
21世紀

2011年1月20日未明、FBIはニューヨーク周辺にてコーサ・ノストラの大量摘発を行い、127人のメンバーを逮捕した[22]

2016年には、マフィアの経済状況は建築詐欺を行わなければ組織を維持出来なくなり、耐震偽装を行ない組織を維持している。その為、過去のマフィアとは違う意味での犯罪者集団にもマフィアという言葉が当てはめられている。
日本におけるマフィア

戦後間もない時期に、アメリカ領フィリピンマニラの賭博師だったテッド・ルーインやシカゴのチェーソン・リー(中国系でアル・カポネの子分)が、連合国占領下の東京に進出。テッド・ルーインは銀座に「マンダリン」という店を出して闇賭博場を開いたことがあるとされる。ルーイン一派は帝国ホテルダイヤ強奪事件などの犯罪を引き起こして最後は日本を離れる結果となるが、エリザベス・サンダースホームに寄付などもしている。
語源

マフィアの語源には諸説あり定説は無い。アラビア語で採石場を意味するマーハ(mafie)、空威張りを意味するマヒアス(M? Hias)から来たというものである。シチリアは9世紀から11世紀までイスラム教徒アラビア人が支配しており、支配に反抗した者や犯罪者がしばしば採石場に逃げ込んだという。またイタリアの国語辞典には“シチリア方言で「乱暴な態度」から”と記述がある。

元々、マフィアという言葉は肯定的な意味で使用されていた言葉であり、「美しさ、優しさ、優雅さ、完璧さ、そして名誉ある男、勇気ある人、大胆な人」という意味で使用されていた。この意味での言葉が初めて公文書に使われたのは1656年パレルモでの異端尋問においてであり、異端とされた者のリストの中にこの言葉が使用されている。現在のような秘密結社犯罪組織を意味する言葉として初めて使われたのは19世紀以降からであり、現代の意味でこの言葉が広く知られるようになったのは1862年に制作された喜劇「ヴィカーリア刑務所のマフィア構成員たち(I mafiusi de la Vicaria)」がパレルモのサンタンナ劇場で上演され大ヒットしイタリア各地で巡演されてからである。

また、公文書においては1865年、パレルモ知事であったフィリッポ・グァルティエリ伯爵が内務大臣に提出した文書において使用されたのが最初である。また、マフィアという名前は使用されていないが、マフィアを暗示する組織の存在が公文書に載ったのは1838年、トラパニ市の検事ピエトロ・ウッロワが司法大臣に宛てて書いた報告書が最初であるとされている。

また、シチリアの晩祷にまつわる以下の逸話がある。「Morte alla Francia Italia anela!」(モルテ・アラ・フランチャ・イタリア・アネラ:フランス人に死を、これはイタリアの叫びだ!)1282年3月30日フランス王国占領下のシチリア島で地元の女性がフランス兵に暴行を受けた。これに怒った住民がフランス兵を殺害、抗議の声を上げた。世に言う「シチリアの晩鐘事件」である(シチリア晩祷戦争1282年 - 1302年)。

このスローガン略語が「MAFIA」でありマフィアの語源ともされるが、イタリア語として不自然で、後に創作された可能性が高い。
活動内容

主な活動内容は麻薬取引、殺人及び暗殺密輸、密造、共謀、恐喝及び強要みかじめ料縄張り地域で営業する店舗から喝取する占有料)徴収[23]高利貸し[23]などの犯罪と、不動産業など合法的なものである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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