マッドハウス
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これは東京ムービー社長の藤岡豊がマッドハウス設立にあたって資金援助した関係によるもの[1]。出崎と杉野がスタジオあんなぷるを設立して独立し、丸山正雄が社長に就いた1980年代には主にりんたろうが監督する角川書店製作の劇場向け作品やオリジナルビデオアニメ(OVA)を中心に制作していた[1]
1990年代

テレビアニメは元請スタジオの外注というスタンスで制作した作品が多かったが、1989年の『YAWARA!』を皮切りとして、1990年代からはテレビ作品に本格的に進出し、自社元請制作も行なうようになった。このほか1991年には韓国の制作プロダクション、DR MOVIEと提携。仕上工程の下請けを皮切りに、グロス請けを任せるまでになった。

1998年から放映開始された『カードキャプターさくら』(浅香守生監督作品)は、原作を見事に昇華した脚本、演出、作画、音楽に魅せられたファンを獲得。それまでOVAや映画の仕事を中心とし“ 一般向け ”や“ アニメ通好み ”という評価を得ていたマッドハウスの名を、ライトなアニメファンに周知させる同社の代表的な作品となった。

1999年12月、『D・N・A2 ?何処かで失くしたあいつのアイツ?』『Bビーダマン爆外伝』等の制作に関わった同業の株式会社パオハウスを買収。有限会社マッド・ハウスは業務をパオハウスに移管し、パオハウスは「株式会社マッド・ハウス」に商号変更した。パオハウスは『YAWARA!』を製作したキティ・フィルム落合茂一が1993年に独立創業した会社で、1999年4月の落合死去後代表を引き継いだキティグループ出身の増田弘道が引き続き2005年まで株式会社マッドハウスの代表取締役を務めた。有限会社マッド・ハウスはその後二度の商号変更を経て作品の仕上・撮影・3DCG・編集を手掛ける「有限会社マッドボックス」となった。
2000年代

世界的に評価の高い川尻、今敏らを監督陣に擁し、『アニマトリックス』など芸術性の高い作品から『ギャラクシーエンジェル』のようなマニアックな娯楽作品まで、幅広い作品を手がけ、会社としては円熟期に入った。また、『千と千尋の神隠し』などのスタジオジブリ作品に作画協力などで参加した。

2001年にはDR MOVIEに資本出資。同年、DR MOVIEと共同制作した『爆転シュート ベイブレード』よりデジタルペイント・コンポジットを導入。以降各作品順次デジタル制作に移行した。1990年代末期から業界全体で導入が進んでいた中、当初デジタル制作には慎重で、2001年まではセル画フィルム撮影による作品制作を続けてきたが、この時期に至りアニメ業界全体で急速なデジタル制作化が進展し、導入に踏み切った。

2004年2月、携帯電話向けコンテンツ制作供給大手の株式会社インデックス第三者割当増資を引き受け、同社の子会社となる[注釈 1]。同年11月、作品のクレジット等での表記と統一するため、「株式会社マッド・ハウス」を「株式会社マッドハウス」に商号変更。当時インデックス傘下にあったタカラトミーインターチャネル・ホロンインデックスミュージックアトラス(旧社)、当時タカラトミー傘下にあった竜の子プロダクション、タカラトミーと業務提携したガンホー・オンライン・エンターテイメント、その子会社となったブロッコリーなどとのメディアミックスや協業の可能性を模索した。

2005年に深夜枠作品等でかねてより取引関係にあった日本テレビ放送網バップ電通の3社、2006年にはWOWOWが第三者割当増資を引き受けた。また、従来あまり重視してこなかったCGの作品への導入に関しても、同じくインデックス傘下となったCG制作会社のダイナモピクチャーズとの協力関係を構築するなど従来の作画とCGとの融合に挑戦しており、他社の制作アニメとは異なる立体感のある作品を志向している。
2010年代

2010年、次回作として『夢見る機械』の制作に着手していた今敏が膵癌により同年8月24日に46歳で死去。同年9月10日には日本振興銀行が経営破綻、振興銀と融資や債権購入などで繋がりが深かった親会社のインデックスは大きな経済的損失を被り、その余波がインデックスグループ各社にも波及する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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