マチュ・ピチュの歴史保護区
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マチュ・ピチュの都市遺跡の観光にもさまざまな規制はあり、範囲内の飲食禁止、禁煙・火気厳禁、高齢者などが杖を持ち込むときには先端にゴム製カバーがついたものに限ることなどが定められ[38]、立ち入り可能なエリアや見学する際の順路も決められている[39]

2008年の第32回世界遺産委員会では、保護区内での森林伐採や無計画な開発などへの懸念から、「強化モニタリング」指定が行われた[40]。また、新たな観光道路の建設計画が持ち上がった2011年の第35回世界遺産委員会では危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストへの登録も検討された[41]

また、こうした問題とは別に、21世紀初頭には周辺での地滑りの危険性が指摘されており、特定非営利活動法人国際斜面災害研究機構の現地調査などが実施されていた[42]。しかし、2010年1月には周辺地域での何日間にもわたる大豪雨によって、実際に大規模な地滑りが発生するなどし、約2000人の観光客(日本人含む)が孤立する事態が発生した[43]。周辺の復旧作業のため、マチュ・ピチュ遺跡の観光は同年3月末までできなくなった[44]
脚注
注釈^ この面積はIUCNによるが、日本語文献では総面積326km2(うち都市遺跡約5km2)と概数で示している文献も複数ある(水村 (2002) pp.16-18、青柳 (2003) p.471、世界遺産アカデミー (2006) p.74、世界遺産アカデミー (2012) pp.338-339 etc.)。なお、UNEP-WCMC (2011) p.2 では 32,952 haとなっている。
^ IUCNカテゴリーはIUCNが1983年に示していたものとUNEP-WCMCが2011年に示していたものとで異なっているので、ここでは併記した。
^ ビルカバンバの有力候補は、ウルバンバ川上流の都市遺跡エスピリトゥ・パンパである(大平ほか (1998) p.23、柳谷 (2000) p.167)。
^ 大平ほか (1998) p.22では2,350m とされている。
^ 広く知られている都市遺跡以外に、マチュ・ピチュでは紀元前2000年以来の遺跡群も発見されている(青柳 (2003) p.471)。
^ 「マチュ・ピチュの歴史保護区」としている文献には、大平秀一ほか監修『世界遺産を旅する(9) 南米』(近畿日本ツーリスト、1998年)、世界遺産を旅する会『世界遺産厳選55』(小学館小学館文庫〉、2000年)、水村光男監修『オールカラー完全版世界遺産第5巻・アメリカ大陸』(講談社講談社+α文庫〉、2002年)、古田陽久 古田真美 監修『世界遺産事典 - 2012改訂版』(シンクタンクせとうち総合研究機構、2011年)、日本ユネスコ協会連盟監修『世界遺産年報2013』(朝日新聞出版、2013年)、谷治正孝監修『なるほど知図帳・世界2013』(昭文社、2013年)などがある。
^ 登録名を「マチュ・ピチュ」とだけ表記している文献としては、ユネスコ世界遺産センター監修『ユネスコ世界遺産2 中央・南アメリカ』(講談社、1997年)、青柳正規監修『ビジュアルワイド世界遺産』(小学館、2003年)、『21世紀世界遺産の旅』(小学館、2007年)、世界遺産アカデミー監修 『すべてがわかる世界遺産大事典・下』(マイナビ、2012年)、『新訂版 世界遺産なるほど地図帳』(講談社、2012年)、小林克己『最新版 世界遺産ベスト100』(三笠書房〈王様文庫〉、2012年)などがある。

出典^ a b IUCN (1983) p.62
^ a b c UNEP-WCMC (2011) p.1
^ ユネスコ世界遺産センター (1997) pp.200, 203
^ a b c d e f 世界遺産アカデミー (2012) pp.338-339
^ 大平ほか (1998) pp.20-21
^ 柳谷 (2000) p.163
^ a b c d UNEP-WCMC (2011) p.2


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