『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、第1章1?17節の系図によれば、ユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から、ユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。
また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していたファリサイ派への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがファリサイ派へと変容していったとみなすほうが的確である。 本文からは『マタイによる福音書』の正確な成立時期については聖書学者の間でも意見が分かれている。遅くとも紀元85年ごろまでには成立したと考えられている。 『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。この福音書の著者は、教会の伝承では取税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『取税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。 一方、近現代の高等批評の立場に立つ聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。 現代、高等批評の立場に立つ学者たちにもっとも有力な仮説とみなされているのは二資料説と三資料説である。二資料説では『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)から「Q資料(仮説上の仮想資料で、存在が証明されていない。)」という名前で呼ばれる)から成立したと考えられている。また三資料説では、二資料(マルコ福音書とQ資料)に加えて、「M資料」というマタイによる福音書独自の資料(例えば、マタイ16章の教会の土台に関する箇所など)も執筆時に参考にしていると主張している。ただし、伝統的な聖書信仰の立場に立つ福音派の多くは、このような高等批評の立場に立つ学者たちの仮説は受け入れていない。 『マタイによる福音書』は構成上、五つの部分に分けることができる。 マタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努めている(参照:マタイ5:17 ? 18)。 さらにマタイは、イエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調している。(参照):「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22 他、数箇所ある) マタイ福音書は、すべてがギリシャ語で書かれているわけでなく、マタイ福音書5章22節で、raca というアラム語をギリシャ語に翻訳しないで、アラム語の発音をそのままギリシャ語に音写している。(ちなみに、他にも「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」というイエスの言葉も音写である。)新約学者のO.クルマンは、ここから、マタイはアラム語が通じる相手に語っているとしている。[3]。 『マタイ福音』については、元々何語で書かれていたのかが最も議論となる問題で、伝承では最初アラム語で書かれ、ギリシャ語へと翻訳されたとされている。しかし、『マタイによる福音書』がアラム語で書かれたなら、シリアなどでは他にもよく読まれた『ヘブライ人の福音書 このような論理展開から出た「オリジナル=ギリシャ語」という結論に対して、別の角度からの反論もある。それは各福音書の成立の過程を「二資料説」から離れて再検討しようという考え方である。それによれば「二資料説」の考え方とは逆に『マタイ福音』が初めにかかれ、マルコがそこから引用したとする。すなわち、『マタイ福音』はもともとアラム語で書かれたが、『マルコ福音書』の成立後にギリシャ語に訳され、その過程で『マルコ福音書』が参考にされたという説である。『マタイ福音書』全1071節のうち、387節のみが独自のもので、130節が『マルコ福音書』と共通であり、184節が『ルカ福音書』と共通している。 『マタイによる福音書』の関連作品として,以下のものがある。
成立時期
著者
高等批評の立場
構成
イエス・キリストの系図、誕生の次第、ヘロデ大王による幼児虐殺、幼年時代、公生涯の準備(1-4:16)
ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4-17:16:20)
ガリラヤにおける私的な活動(16:21-18)
ユダヤにおける活動(19-25)
イエスの死と復活(26-28)
特徴
旧約の成就
執筆言語
芸術
イタリア人監督ピエル・パオロ・パゾリーニによる映画『奇跡の丘』(1964年、原題: 『マタイによる福音書』"Il Vangelo Secondo Matteo”)
テレマン『マタイ受難曲』 TWV 5:31(1746年)
テレマン『マタイ受難曲』 TWV 5:19(1734年)
J.S.バッハ『マタイ受難曲』 BWV244(1727年)
H.シュッツ『マタイ受難曲』 SWV479(1666年)
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースにマタイ伝福音書 (文語訳)の原文があります。ウィキソースにマタイによる福音書
山上の垂訓
オリーブ山の説教
毒麦のたとえ
マルコによる福音書
ルカによる福音書
ヨハネによる福音書
シドン・シナゴーグ イエスがこことその近傍で説教したとマタイによる福音書に記されている。世界最古のシナゴーグのひとつ
マタイによる福音書1章
マタイによる福音書2章
脚注[脚注の使い方]^ 小河陽「マタイによる福音書」『岩波キリスト教辞典』大貫隆、名取四郎、宮本久雄、百瀬文晃編、岩波書店、2002年、1064頁。ISBN 4-00-080202-X。
^ ダヴィド水口優明 編著『正教会の手引』日本ハリストス正教会教団 全国宣教企画委員会、2004年、2013年改訂、197頁。
^ O.クルマン『新約聖書』白水社クセジュ No.415。p.36
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福音記者