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1939年にはカルノー医師により性教育面での言及が行われ、1968年を境に、セクシュアリティについての社会的見解に変化が起こったといわれる[11]
日本における歴史

13世紀の『宇治拾遺物語』には、源大納言雅俊法会を催すに際して僧を集め、一生不犯である旨の起請(女性との性行為をしたことがなく、今後もしないという誓い)をたてさせたところ、1人の僧が「かはつるみはいかが候べき」(オナニーはどうなのでしょう?)と青い顔をして尋ねたので、一同が大爆笑した、という記述がある[15]春画に描かれた女性のオナニー

江戸期の儒医学者・貝原益軒の『養生訓』(1713年)では、オナニーと性交を区別する記述はないが、精液を減損しないことが養生の基本とされ、性行為そのものを否定はしないが、過度に陥ることは害とされる。このように精液減損の観点から健康維持を説き、性行為が過度に陥ることを戒める発想は、江戸期の性を扱った書物に一般的なものであったともいう[16]。中にはオナニーを性交と区別して否定するものもある。このような発想は武士階層のみならず、漢方医の必携書にも同様の記述が見られることから漢方医を通じ、町人、農民層を含めた広範な範囲に広まっていたと考えられる。これが日本において、明治期の開化セクソロジーに見られる反オナニー言説がすんなりと受容される土台となった。だが、近代以前はそれ以降に比べ、オナニーに関して比較的おおらかであったと言える。山梨県南都留郡道志村には明治末期まで若者宿が残されており、気の合った若衆たちは娯楽場として若者宿に集い、ペニスの大きさを競い合ったり精液の飛ばし合いをしていた[17]

明治初期には『造化機論』(アストン著、千葉繁訳)を嚆矢としてセクシュアリティに関わる言説が多く生産される[注釈 6][16]。数々の西洋の書物の訳書、或いは地方の士族、東京の平民、ジャーナリストらによって書かれた書物群では、生殖器や性行為に関して様々な観点から論じられているが、その多くがオナニーの害について述べている。ただし、その理論的根拠には二系統あり、一つは「精液減損の害」という『養生訓』に見られる観点から論じられるもので、必然的に「オナニーの害を被る主体は男。オナニーとセックスはどちらも過度であれば害。害は、身体・健康に関わるもの」となる。もう一方は「三種の電気説」を根拠にするもので「オナニーの害は性別問わず。セックスとオナニーの害は別もの。害は、精神にも及ぶ」という主張。

また、明治10年代の医学界の成立にともない、専門家集団の間でもオナニーの有害性は検討されはじめ[16]1877年(明治10年)創刊の『東京医事新誌』では、1879年(明治12年)からオナニーの害についての言及が始まる。なかには、性欲を抑制することの害を述べるものもあるなど、全体として単純なオナニー有害論とは距離を置いている。オナニーは神経病の原因か、結果かという問いが、ここで浮上する。1894年(明治27年)、クラフト=エビング[注釈 7]の『色情狂編』が出版され、様々な「精神病」や「色情狂」の症状とオナニーの関係が検討される。オナニーは様々な「病」(精神病・神経衰弱・同性愛や露出狂を含む各種色情狂)の「原因」なのか「誘引」なのかが検討され、「誘引」であると結論される。クラフト=エビングは明治期にオナニーを論じた医学者たち(山本宗一[注釈 8]森?外富士川游)などに多大な影響を及ぼした。このような例外はあるものの、明治後期の日本の医学者たちによる検討は、全般的に統計的・実証的な調査を行った上でなされたわけではなく、単に西洋の書物の受け売りでしかなく、オナニーは様々な「病」の「原因」か「誘引」かについては、医学者たちの見解は分かれていた。自慰という日本語を作った小倉清三郎や政治家の山本宣治などオナニー有害論に反論した者もいたが少数派に止まっていた。

明治初期のセクシュアリティに関するテクストは、市井の人々かジャーナリストによって書かれていたが、明治30年代以降、その主な担い手は「医学士」「○○病院院長」などの肩書きを持つ人びと(専門家集団)へと移行する[16]。ただし、医学界といっても、その専門分化によって論理の内実は変わる。医学専門家内部では、オナニーの有害性に相当の疑問がもたれていたにもかかわらず、衛生学のテクストではオナニー有害を前提として、学校や家庭における青年の監視の必要性が主張されている。
貞操帯1903年にAlbert V. Toddが出願した米国特許の貞操帯

西洋における反オナニー思想はさまざまな器具の考案を生み出した。一例として、右図はオナニーの誘惑から青少年を守るために考案された貞操帯の特許である。青少年のペニスを図のサックに挿入し、ベルトを腰に巻き固定する。本人にはこの器具が外せないようになっている。もし、本人が誘惑にかられて、ペニスに手を伸ばしてオナニーを始めると、大きな警報がなり、周囲の注意を喚起せしめるようになっている。警告にもかかわらず本人がオナニーを続けると、器具につなげられた電気回路が作動して電撃がペニスに走り、一気に萎えさせるような仕掛けになっている。ただし、この器具がどの程度普及したかどうかという記録は残っていない。

このような装身具は子供用にもつくられており、電撃はないが安易に性器を刺激できないよう堅い皮製のパンツ(男児はペニス部分がペニスサックのようにとびだし、女児には性器を覆うような形をしたもの)をはかせ、性器を手で刺激しにくいようにしていた。しかし、実際にはなんとか快感を得ようと物に押し付けたりしてオナニーしていたようである。
宗教的見地

こうして続いてきた自慰に関する人々の対応、扱いの変遷だが、現在も自慰行為が倫理的には罪とみなす宗教が存在する。
カトリック教会

カトリック教会では自慰は罪とされ、『カトリック小事典』によると「自慰は生殖機能のひどい乱用であって、完全に同意して意識的に行う場合は大罪である。この行為が罪であるのは、生殖能力を作動させておいて、その自然の行為、神から定められた目的を達成させるのを妨げる点にある。(語源はラテン語manu「手によって」+stupare「自分自身を汚す」)。」としている。[18]

また、ペルー・カリタスの配布する『簡単なカトリック・カテシスモ(要理)』によると、「第6戒 姦淫してはならない。自分と他人の身体を尊敬するように、言葉と行いにおいて、貞潔、純潔でありなさい。


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