1951年4月にマッカーサー元帥が、トルーマン大統領によって最高司令官を解任(英語版)されると、リッジウェイがその後任となり、大将に昇進し、朝鮮半島での国連軍の指揮と連合国軍最高司令官として占領下日本で占領行政を行った。もう一つの重要な任務は、連合国軍最高司令官として、連合国の占領下にあった日本を独立させて西側陣営の一員に加えることであった。吉田茂首相との協調によってこの課題を達成し、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効して日本の占領が解除された。
1952年5月に、リッジウェイはドワイト・D・アイゼンハワー元帥の後任としてNATO軍最高司令官に就任し、国連軍司令官の後任にはマーク・W・クラークが選ばれた。しかしながら周りのスタッフを自らの部下で固めようとしたため他ヨーロッパ諸国の軍指揮官の反発を受ける。彼はコリンズ将軍の後任としてアメリカ陸軍参謀総長に就任するため、1953年にアメリカに帰国した。
リッジウェイは2年間、陸軍参謀総長の職にあったことで、ベトナム戦争へのアメリカの介入を遅らせたと歴史家に見なされる。当時のアイゼンハワー大統領はアメリカ軍がフランス軍と合同で介入することに関して彼の判断を求めた。これに対してリッジウェイは、信号兵、軍医、工兵、兵站部員などから構成された調査団を派遣し、『リッジウェイ報告書』にまとめた。その報告書によれば、敵を撲滅するには最低五個師団、できれば十個師団(朝鮮には六個師団が投入されたにすぎない)が必要だ、というものであり、介入した場合に支払うべき莫大な代価を具体的に提示している[4]。しかしながらその経験は、リッジウェイがアイゼンハワーと第二次世界大戦中に保った良好な関係を試されることとなった。1955年に陸軍を退役し、後任にはかつて第82空挺師団で副官であったマクスウェル・D・テイラーが就任した。 リッジウェイは自分が考えていたよりも早期の退役を強いられた。しかし彼自身は自らの能力が及ぶ限り、国に奉仕したと確信していた。軍を退任後はペンシルベニア州ピッツバーグのメロン産業調査研究所の取締役会長を1960年まで務めた。 リッジウェイは軍人としては成功したが、個人的生活では幸福ではなかった。なお、リッジウェイは3度結婚している。友人および同僚によると、1971年に息子が交通事故死した後は以前と違ってますます元気がなく、不機嫌になったという。 リッジウェイはピッツバーグ郊外のフォックス・チャペルの自宅で1993年7月、98歳で死去した。アーリントン国立墓地に埋葬されている。
退役後
著作
Matthew B. Ridgway, The Korean War, Doubleday, 1967. Da Capo Press, 1986.
『朝鮮戦争』(熊谷正巳・秦恒彦訳、恒文社、1976、新版1994)
Matthew B. Ridgway, Soldier: The memoirs of Matthew B. Ridgway, as told to Harold H. Martin. Greenwood, 1974.
死去
栄典
大統領自由勲章(1986年)[5]
議会名誉黄金勲章
殊勲十字章
銀星章
銅星章
パープルハート章
レジオンドヌール勲章グランクロワ(1953年)
出典^ “「狂犬」だけではない、「魔法使い」に「鉄のおっぱい」… 名将にあだ名あり”
^ Matthew B. Ridgway THE KOREAN WAR 1986年3月 ISBN 9780306802676
^ a b 岡田敏彦「韓国守る必要なし」トランプ氏に喝采送る米有権者、かつて「敵前逃亡」した韓国軍に“根深い”不信 2016年5月5日閲覧
^ デイビット・ハルバースタム著『ベスト&ブライデスト1』201頁
^ BILLY A. ARTHUR (1993年8月10日). “ ⇒Obituary:General Matthew Ridgway” (英語). 2010年8月10日閲覧。
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、マシュー・リッジウェイに関連するカテゴリがあります。
冷戦
パトロールキャップ - アメリカ軍の戦闘帽。参謀総長に就任したリッジウェイが「軍人らしさ」の向上を求めたことから、「リッジウェイ・キャップ」と通称される型崩れしないモデルが開発された。