マシュー・ペリー
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このエンボッシングモールス電信機は逓信総合博物館(2013年閉館)を経て郵政博物館(2014年開館)に伝えられている[18]


1853年の来航時に旗艦「サスケハナ」号に掲げられていた星条旗は、1945年昭和20年)9月2日の日本の降伏文書調印時に戦艦ミズーリ上に掲げられた。

ペリー艦隊ミシシッピ号

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嘉永6年6月3日(1853年7月8日)に江戸湾の浦賀沖に姿を現したペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊の4隻の軍艦。日本人はこれを「黒船」と呼んだ。

一般には「東インド艦隊」と呼ばれるが、「フリート」 (fleet) ではなく「スコードロン」 (squadron) であるため、現代の軍事用語では「小艦隊(または戦隊)」に該当する[19]。ただし、当時のアメリカ海軍にはフリートは存在せず、軍艦の集団としてはスコードロンが最大の単位であった。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)たつた四杯で夜も眠れず」[注釈 4]狂歌に詠まれたが、来航した黒船4隻のうち蒸気船は2隻のみであった。

旗艦:「サスケハナ」(USS Susquehanna) 1850年12月24日フィラデルフィア海軍工廠で竣工

外輪式フリゲート:水線長76メートル、満載排水量3,824トン、乗員300名。

装備 10インチ砲3門、8インチ砲6門


ミシシッピ」(USS Mississippi)

外輪式フリゲート:水線長70メートル、満載排水量3,230トン

装備 10インチ砲2門、8インチ砲8門


「プリマス」(USS Plymouth)

帆船:水線長45メートル、満載排水量889トン

装備 8インチ砲8門、32ポンド砲18門


「サラトガ」(USS Saratoga)

帆船:水線長45メートル、満載排水量896トン

装備 8インチ砲4門、32ポンド砲18門


階級に関して詳細は「提督」、「代将」、および「代将 (アメリカ海軍)」を参照

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ペリーの訪日当時の階級は“Commodore”である。古来の欧州の海軍においては、個々の戦闘艦の指揮官であるCaptain(艦長 / 大佐)が平時の最上位であり、戦時に複数の戦闘艦が集められて艦隊が編成された場合の司令官としてAdmiralが任命されていた。その後Admiralは階級として固定され、臨時に複数の戦闘艦の指揮官が必要になる場合には、艦長のうち最先任の者がCommodore(代将)としてこれを率いていた。そして、19世紀当時にはCommodoreも階級となっていた。一方、欧州の海軍とは異なり、アメリカ海軍においては設立以来1人のAdmiralも誕生していなかった。制度としては存在していたものの、Admiralに昇進するには議会の承認が必要であり、現実に最初のAdmiralが認められたのは南北戦争中の1862年であった(この時点ではペリーはすでに死亡している)。したがって、ペリーの肩書きもCommodore(代将)であり、Admiralではなかった。アメリカ海軍においても代将は一時的な肩書きに過ぎず、ペリーは東インド艦隊の指揮をとるために代将に任命されたもので、任務が完了した後は正規の階級である大佐に戻っている。

大統領の親書には、ペリーはアメリカ海軍の最高位の軍人であると記載されていた。当時の日本の文献では「水師提督マツテウセベルリ」との記載がある(合衆國水師提督口上書)。提督は、清朝の最高位の武官の官職名であり、水師提督は海軍の最高位の軍人である事を意味する。ペリーの肩書きを表すのに、同じ外国である清朝の武官名を借用したのである。これ以降提督は海軍の最高位を示し、現代では英語の「Commodore」、「Flag officer」および敬称としての「admiral」の和訳語となっている[20][21]
艦名

兄のオリバーの名前は、オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートネームシップとなるなど、これまで6隻に使われたが、最近までアメリカ海軍にはマシュー・ペリーの名前を持つ艦はなかった。しかし、2010年に就役したルイス・アンド・クラーク級貨物弾薬補給艦の9番艦がマシュー・ペリーと命名された。同艦は2011年東北地方太平洋沖地震の救援活動に参加した[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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