マザーテレサ
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遺体はテレサの遺言どおり「神の愛の宣教者会」本部に葬られた[16]。彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。インドの政治指導者や首相以外で国葬されたのは彼女と2011年4月に死去したサティヤ・サイ・ババ[17]のみである。
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出典検索?: "マザー・テレサ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年6月)

1997年、テレサの死後すみやかに列福列聖調査がはじめられた。通常は死後5年を経ないと始めることはできない規定だが、テレサの場合は生前から聖女の誉れが高かったことと、彼女の業績を極めて高く評価していたヨハネ・パウロ2世が前倒しを強く求めたため、例外的に5年を待たずに始められたのである(この例外は、2005年4月に逝去した当時の教皇ヨハネ・パウロ2世自身にも適用された)。

マザーの列福のために報告され、後日、奇跡として認められた事例に、非カトリックのインド人女性モニカ・ベスラの治癒がある。1998年、モニカは34歳の時、腹部の腫瘍を患い病んでいた。すぐに手術しなくてはならない危険な状態であったが、ひどい貧血症も患っていたために手術は不可能であった。彼女はマザー・テレサの死去した翌年の9月6日に、神の愛の宣教者会が経営する「死に行く人のための家」の礼拝堂に赴いた。「礼拝堂に入ると、マザー・テレサの写真が目に入り、あたかも一条の光が私に向って飛び出してくるように感じました。シスターが私のためにお祈りをしてくれて、私は眠りにつきました。朝、目覚めると、腫瘍が消えていたのです。」とモニカは語っている[18]

その突然の完全な治癒は医師たちを驚かせ、その後にその医師たちは自分たちの診断が間違っていなかった事を示すためのあらゆる必要な証拠を提出した。治癒のあとで、腫瘍を検査するためにした小さな外科手術の跡さえも見つからなかった。立ち会った医師は「これは私の医師としての人生で出会ったもっともすばらしい経験の一つです」と言う。西ベンガル州シリグリのR.N .Bhattacharya医師は、腫瘍は7か月の胎児と同じ大きさだったと証言する。

列福のための正式な手続きは、2001年の8月にカルカッタ(現・コルカタ)司教区の特別委員会が報告書を取りまとめ、ローマ教皇庁列聖省に提出している。この報告書は重病や貧困に苦しむ人々に対するマザーの献身的活動や、列福に値することを示すため、マザーに対するとりなしの祈りによる奇跡的行為なども盛り込まれており、ページ数は35,000ページにも及ぶ。

列福・列聖には通常、対象者の死後数十年かかるが、マザーの献身的活動が生前から世界中の尊敬を集めてきたことなどにより、1999年、ヨハネ・パウロ2世は手続きを早める特例を認めた[19]

2003年10月19日、ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言した[20]。通常は本人の死後、福者の認定を受けるまで少なくとも数十年の審査が必要とされている現状を考えれば、死後6年での列福というのは異例の早さであった。
列聖への道のり

2015年12月17日、ローマ教皇庁はフランシスコがテレサの二度目の奇跡を承認したと発表した。2008年、脳腫瘍を患い危篤状態だったブラジル人男性がテレサのとりなしによって回復された事例が奇跡と認定された[21]

2016年9月4日、フランシスコはテレサを列聖し、「聖人である」と宣言した[22]。この日はテレサの死後、満19年目を迎える前日であった。
受賞・受章歴

1962年 マグサイサイ賞平和・国際理解部門

1971年 ヨハネ23世教皇平和賞

1972年 ジョン・F・ケネディ

1973年 テンプルトン賞

1975年 アルベルト・シュヴァイツァー

1979年 ノーベル平和賞

1980年 バーラト・ラトナ賞

1983年 優秀修道会賞

1985年 大統領自由勲章

1992年 ガウデイム・エト・スペス賞

1996年 アメリカ合衆国名誉市民

1997年 議会名誉黄金勲章

批判詳細は「マザー・テレサに対する批判」を参照

テレサの施設「死を待つ人々の家」の医療水準の低さ、用途不明の資金、問題人物との交際などマザー・テレサの人格を疑問視する声は多い。

イギリス人ジャーナリストクリストファー・ヒッチェンズは1995年に『宣教師の立場』を刊行し、その中でマザー・テレサをきわめて否定的に扱った。またリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』の中で、『宣教師の立場』の題を挙げてマザー・テレサを「彼女は聖人ではない」と批判した[23]

インド出身のアソシエイトエディター、クリティカ・ヴァラグールは2016年4月に『ハフィントン・ポスト』アメリカ版でマザー・テレサを批判した。「『特別で優秀な白人が有色人種を助けるのだ』というイメージをインド人や西洋人に植えつけた」と主張し、「マザー・テレサの崇高なイメージは、脆弱化したカトリック教会によって行われたメディア・キャンペーンの結果である」と述べている[24]
関連作品
書籍

『マザー・テレサ -神さまへのおくりもの-』マザー・テレサ著、半田基子訳、
女子パウロ会、1976年

『生命あるすべてのものに』マザー・テレサ、講談社現代新書、1982年

『マザー・テレサ 愛を語る』ジョルジュ・ゴルレ、ジャン・バルビエ編著、支倉寿子訳、日本教文社 、1982年

『ほほえみ -マザー・テレサのことば-』女子パウロ会編、江口まひろ絵、女子パウロ会、1989年

『マザー・テレサ 愛のことば』女子パウロ会編、いもとようこ絵、女子パウロ会、1998年

『マザー・テレサ 日々のことば』マザー・テレサ著、いなますみかこ訳、女子パウロ会、2000年

『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』ホセ ルイス・ゴンザレス‐バラド編、渡辺和子訳、PHP文庫、2000年

『愛する子どもたちへ マザー・テレサの遺言』マザー・テレサ、片柳弘史(写真)、ドン・ボスコ社、2001年

『マザー・テレサ書簡集』、片柳弘史編・訳、ドン・ボスコ社、2003年

『マザー・テレサ -すばらしいことを神さまのために-』マルコム・マゲッリッジ、沢田和夫訳、女子パウロ会、1976年


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