南はロードアイランド州とコネチカット州、西はニューヨーク州、北はバーモント州とニューハンプシャー州に接している。東は大西洋である。アメリカ合衆国50州の中で陸地面積では第44位、人口では第15位、人口密度が第3位である。東部のボストン大都市圏と、西部のスプリングフィールド大都市圏という2つの中心地がある。人口の約3分の2はボストン大都市圏に住んでいる。州都はボストン市であり、人口最大の都市でもある。ボストン大都市圏にはハーバード大学、マサチューセッツ工科大学などがあるケンブリッジやサマービル、クインシーなどの市町が含まれている。
マサチューセッツ州は、アメリカ史の中で各分野にわたって重要な役割を演じてきた。1620年、メイフラワー号の乗船客ピルグリムによって、プリマス植民地が設立された。1636年に設立されたハーバード大学は国内最古の高等教育機関である。1692年、セイラムとその周辺ではセイラム魔女裁判と呼ばれる忌まわしい事件が起こった。18世紀、大西洋圏を席捲したプロテスタントの第一次大覚醒運動は、ノーサンプトンの説教師ジョナサン・エドワーズに端を発していた。18世紀後半には、アメリカ独立戦争とイギリスからの独立に繋がる扇動によって、ボストンは「自由の揺籃」とも呼ばれた。1777年にヘンリー・ノックス将軍が設立したスプリングフィールド造兵廠は、産業革命の時代に交換部品など多くの重要な技術進歩を促進した。1786年、州西部の農夫によるポピュリスト革命、シェイズの反乱が直接アメリカ合衆国憲法制定会議の開催に繋がる要因になった。
南北戦争以前の時代には、禁酒運動、超越論的思想、奴隷制度廃止運動の中心になった。1837年、コネチカット川バレーのサウスハドリーの町に、国内初の女子カレッジであるマウント・ホリヨーク大学が開校した。19世紀、州西部の都市、スプリングフィールドとホリヨークでバスケットボールとバレーボールが発明された。2004年、州最高裁判所の判決により、国内で初めて同性結婚を法律で認める州になった。州内からはアダムズ家やケネディ家など多くの著名政治家を輩出してきた。
マサチューセッツ州は当初漁業、農業、貿易業に依存していたが、産業革命の間に工業の中心に変わった。20世紀にはその経済が工業からサービス業に転換された。21世紀には、高等教育、医療技術、ハイテクと金融業で指導的存在である。 マサチューセッツ州の前身マサチューセッツ湾植民地の名称はかつてマサチューセッツ湾の周辺に居住していたインディアン部族、マサチューセッツ族にちなむ。この部族の名はマサチューセット語
歴史詳細は「マサチューセッツ州の歴史」を参照
名称
別の説として、クインシーにあるモスウィタセット・ハンモック(鏃のような形の岡という意味)の名前から派生したとするものがある。ここで1621年に、プリマス植民地の指導者マイルス・スタンディッシュと通訳のスカントが、インディアンの酋長チカトーバットと出遭った[5][6]。
州の公式名は Commonwealth of Massachusetts であり[7]、口語では単純に Commonwealth と呼ばれることが多い。その意味合いで State との違いは無く、他州と同じ位置づけと権限がある[8]。2020年11月、それまで全米最長の正式名称であったロードアイランドおよびプロビデンス・プランテーション州が短縮され、繰り上がりで50州の中では最も長い公式名称をもつ州となった(自治領などを含めれば北マリアナ諸島が最長[9])。 マサチューセッツ州となった地域に住んでいたのは、ワンパノアグ族、ナラガンセット族、ニプマク族、ポコンタック族、モヒカン族、マサチューセッツ族など、アルゴンキン語族だった[10][11]。その食料を補うためにカボチャやトウモロコシを栽培する一方で、狩猟漁労採集に依存していた[10]。集落はウィグワムやロングハウスと呼ばれる小屋の集まりだった[11]。サッチェムと呼ばれる男あるいは女の長老が部族を率いていた[12]。 1600年代初期、アメリカ合衆国北東部のインディアンは、天然痘、麻疹、インフルエンザ、レプトスピラ症など免疫力の無かった疫病によって、大きく人口を減らした[13][14]。1617年から1619年に、マサチューセッツ湾のインディアンの90%が天然痘で殺されたと報告されている[15]。 1620年、メイフラワー号で北アメリカに到着したピルグリム・ファーザーズはプリマス植民地に入植した。彼等はワンパノアグ族インディアンと良好な関係を築いた。
インディアン
マサチューセッツ湾植民地時代(1629年-1686年)プリマス港のメイフラワー号、ウィリアム・ハルシャル画、1882年。ピルグリムは1620年にプリマス植民地を設立した清教徒の集団だった。