マウリッツ_(オラニエ公)
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1618年に開かれたドルトレヒト会議で厳格派が主流となり、ドルト信仰基準が採択され、1619年にオルデンバルネフェルトを処刑して自らの政権を維持した[2]

1621年に停戦が終わるとスピノラと再戦、1624年にスペイン軍に包囲されたブレダを救援しようとしたが、翌1625年、決着が着く前にハーグで57歳で死去した。生涯独身を通し嫡子がなかったため、家督と地位は異母弟のフレデリック・ヘンドリックに受け継がれた。ただし、庶子にウィレム、ローデウェイクがおり、ローデウェイクの息子である孫ヘンドリックオランダ侵略戦争大同盟戦争スペイン継承戦争で従軍してアウウェルケルク卿と名乗り、この家系はナッサウ=アウウェルケルク家として続いた。
軍事革命

マウリッツが従兄のナッサウ=ジーゲン伯ヨハン7世(叔父ヨハン6世の子)と共に行った一連の軍事訓練は、「軍事革命」とも評価される画期的なものであった。もちろん、従来の軍隊にも軍事訓練はあったが、マウリッツはその訓練を非常に精緻なものとした。例えば、銃を扱う際にもその動作を数十にまで細分化し、かけ声に合わせて一斉に動作できるようにした。また、行進の規則を定めることで、指令に従って軍団が迅速に陣形を変えることを可能にした。こうした訓練は、非戦闘中の兵士の士気を維持させることにもなった。また訓練を通じて、元来は傭兵の寄せ集めでしかなかった軍隊の中に、ある種の連帯意識を形成させることにも寄与した。

これらの訓練マニュアルは秘密裏にされず、書物として刊行された(『武器の操作、火縄銃マスケット銃・槍について、オラニエ公マウリッツ閣下の命令によって著す』、日本語未訳)。そのため、諸外国がマウリッツの基本教練を参考にして、自国の軍隊を鍛え上げるようになった。

さらにマウリッツは、パイク兵の方陣テルシオ)による白兵戦が主流であった当時のヨーロッパの陸戦を刷新し、歩兵騎兵砲兵を加えた三兵戦術の基盤を築いた。マウリッツが生きている間は、それでも名将スピノラ率いるスペイン軍との戦闘は五分五分といったところであったが、彼の死後、オランダは当時ヨーロッパ最強の軍事大国であったスペインとの八十年戦争を乗り切って完全独立を果たすことができた。

マウリッツはまた、将校を育成するための士官学校も創設した。この士官学校の卒業者の中には、後にバルト海一帯の覇権を握るスウェーデングスタフ2世アドルフに仕える者もいた。スウェーデン軍の強化は、この卒業生の功績によるものも大きいと推測されている。このように、軍事史におけるマウリッツの影響は、オランダ一国にとどまらずヨーロッパ全体に広まった[3]

加えてマウリッツは、軍隊にシモン・ステヴィン、ジャック・アローム等の優れた数学者・技師などを招き、新兵器の開発も振興した。
日本との交渉

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出典検索?: "マウリッツ" オラニエ公 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年4月)

1609年(慶長14年)、日本江戸幕府)に進出したオランダ東インド会社は、マウリッツをオランダ「国王」とする書簡を駿府で前将軍大御所徳川家康に提出し、朱印状による交易を認められた。以後、オランダ東インド会社はオランダ総督を「国王」とするフィクションを維持することになる。
脚注[脚注の使い方]^ ブロール・pp. 48-50. ウェッジウッド・pp. 359-363.
^ ブロール・pp. 52-69. 森田編・pp. 251-253. ウェッジウッド・pp. 363-366.
^ 菊池・pp. 133-140.

参考文献

モーリス, ブロール『オランダ史』西村六郎訳、白水社文庫クセジュ 752〉、1994年3月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-560-05752-0


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