マウナ・ケア
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ハワイ語でマウナは「山」[1]、ケアは「白い」[2]という意味で、「白い山」若しくは「雪の山」[3]の意であり、冬になると山頂がに覆われることから名づけられたというのが一説である[4]。ハワイ先住民の口頭伝承ではマウナ・ア・ワーケア (ハワイ語: Mauna a W?kea)の一部の発音が省略されてマウナ・ケアとなったと伝えられている[5]。この伝承ではマウナ・ケアはハワイの神話の地の母なる女神パパハーナウモクと創造と天空の神ワーケアの第一子とされており、山頂は地と天が結びつく場としている[5][6][7]
地勢マウナ・ケアとマウナ・ロアハワイ島内のマウナ・ケアが占める領域。マウナ・ケアの地形図。USGS Mauna Kea (1:250,000)。

ハワイ島を構成する順番に噴火した5つの楯状火山の一つである。マウナ・ケアからの溶岩流は北西にあるコハラ山の南斜面を埋め、自身の西および南斜面は隣の活火山マウナ・ロアからの溶岩に覆われる。マウナ・ケアの標高は4,205 mに達し、マウナ・ロアよりも35 m高く、ハワイ諸島で最も高い火山である[8]。隣のマウナ・ロアとは違い、山頂にはカルデラがなく多数の噴石丘と火山砕屑物堆積物が乗っている[9]。このためにマウナ・ケアの山麓上部はマウナ・ロアより2倍ほど急である[10]。また、マウナ・ロアより山体の開析が進んでいる。

マウナ・ケアの最高点であるプウ・ヴェキウは多数の噴石丘のうちの1つであり、ハワイ諸島の最高点でもある。また、マウナ・ケアは、裾野にあたる太平洋海洋底から測ると、10,203メートルの高さがあり、エベレスト山を抜いて世界で最も高い山である[11][12]。しかしながら、マウナ・ケアは山全体の体積が非常に大きく、自分自身の重さによって海底が押しつぶされ、その高さは徐々に減少している[13]

マウナ・ケアは火山進化の老年期 (post-shield stage) にあり、約20-25万年前に壮年期 (shield stage) から移行した[10]。壮年期には隣のマウナ・ロアのように巨大な山頂カルデラを持つソレアイト質玄武岩でできた滑らかな楯状火山だった。老年期へと移行した後、溶岩は粘度の高いハワイアイトからベンモレアイトのアルカリ溶岩となって噴火は間欠的、爆発的になった[14]。その結果多数の重なり合う噴石丘が形成され、カルデラを完全に埋めて覆い隠した。この溶岩の変化は、マグマ源が高圧の深いところに移動して結晶の平衡関係が変わるためと考えられている。マウナ・ケアは、約4,500年前に最後に噴火していて、現在休火山である[10]

マウナ・ケアの山頂は更新世氷期のあいだ巨大な氷帽によって完全に覆われていた。山頂には過去30万年間に少なくとも4回の氷河エピソードがあったことを示す証拠が残されている[15]。氷河モレーンは約70,000年前と約40,000-13,000年前に形成された[10]。山頂近くのアヅ採石場 (Adz Quarry) にある厚い岩石は溶岩が氷河の下で噴出したときに形成されたと考えられている。

山頂付近の標高3970 mの地点にはワイアウ湖 (en:Lake Waiau) がある。また、マウナ・ケアには先史時代に石器用の玄武岩が採掘されていたアヅ採石場がある。
気候と生物相マウナケア銀剣草

マウナ・ケアの山頂平原は全て森林限界の上にあり、景観のほとんどが溶岩で高山ツンドラがパッチ状に点在する。11月から3月まで標高3,400 mより上で雪が降る。特に寒く雪の多い冬のあいだは、1 mを超える積雪が数週間から数ヶ月間にわたって4,000 mより上の山頂地域に残る。これはラニーニャ現象が起こった年に顕著である。これにより噴石丘の斜面でスキーや他のスノープレーができるほか、ハワイ大学は山頂へ向かうアクセス道路で働く雪の除去作業員を1970年代から雇っている[16]。ある年には一年を通して7月以外は毎月雪が必ず降ったこともあるという[16]

これより少し低い部分は固有種のマウナケア銀剣草(en:Mauna Kea silversword)が見られる地域である[17]

1,600-2,400 mはかつてはコア-ママネ森林だったが、ほとんど全てが牧草で覆われる牧場地帯になっている。この地域はハワイにとって外来種であるハリエニシダの大繁殖に脅かされている。北と西斜面のほとんども牧草地である。絶滅の危機にあるフィンチに似たハワイミツスイ類であるキムネハワイマシコ(en:Palila)はほとんどママネの実のみを食べる鳥で、西斜面のママネ-ナイオ森林に棲息する。多数の野生化したヒツジが標高の高い部分に棲息し、土着の植生に深刻な影響を及ぼしている[18]

風上 (東) 斜面は約460-1,600 mで多雨林に覆われる。山の下部は広範囲にわたって農業地であり以前は広大なサトウキビ畑地域だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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