マウナロア
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先史時代の噴火1984年に噴火したマウナ・ロア

マウナ・ロアの先史時代の噴火は溶岩流の下で見つかるの断片に放射性炭素年代測定を実行することによって広範囲に分析されている。この山の先史時代の活動史はおそらくあらゆる火山の中でもっともよく分かっている。数々の研究が示すところでは、数百年にわたる山頂での火山活動が優勢な時期に次いで、数百年にわたって活動が割れ目帯に移行し、再び山頂に戻る、というサイクルが起こっていた。2つのサイクルが明瞭に認められ、それぞれ 1,500-2,000年間続いた。この周期的な振る舞いはハワイ諸島の火山の中でもマウナ・ロアに特有のものである[14]

データは約 7,000年前から6,000年前までマウナ・ロアがほとんど不活性だったことを示している。この活動停止の原因は分かっておらず、現在老年期にあるものを除けば他のハワイ諸島の火山ではこの活動停止は起こっていない。11,000年前から8,000年前の期間、活動は今日より激しかった[9]。しかし、最近10年間で考えれば、マウナ・ロア全体の成長が鈍化していることが示唆されており[15]、ソレアイト質玄武岩楯状火山の構築フェーズ末期にさしかかろうとしていると考えられている[16]
歴史時代の噴火

ハワイ先住民は何世紀にもわたって噴火を目撃してきたと思われるが、文字の記録に残っている噴火は1800年代前半からのものしかない。最初の歴史時代の噴火は1843年に起こり、それ以来33回の噴火が文書に記録されている。これら33回の噴火は火山麓を800 km2にわたって溶岩流で覆った。通常は、噴火は短期間だが激しく、数週間のうちに0.25-0.5 km3の溶岩が噴出した。

1935年に特に大きな噴火があり[17]ヒロを脅かすのに十分な規模の溶岩流が発生したため、特別に航空兵力が投入された。アメリカ陸軍航空隊の第23および第72爆撃飛行隊の5機の爆撃機が溶岩流をヒロからそらすために溶岩の前方に爆弾を投下した[18][19]

1950年まではだいたい3-4年ごとに噴火が起こっていたが、それ以降は 1975年1984年に噴火が起こったのみで休眠期が劇的に伸びている[9]。2つの最近の噴火はもっとも広範囲に研究されている。1975年の噴火は 2日しか続かず山頂で起こった。1984年の噴火では山頂から海抜2,900 mまで北西と南東に割れ目火口が開いた。この噴火による溶岩流は再びヒロに迫ったが、噴火が3週間後に終わったときに郊外から約4.0 kmの地点で止まった[13]
現在の活動「en:Mauna Loa#Recent history」を参照1984年3月にアア溶岩を流す溶岩噴泉

地震活動は2002年まで低いままだったが、2002年に突然に膨張が始まって、カルデラ壁は年間5 cmの速度で離れはじめている。これは山頂の約5.0 km下にあるマグマ溜まりにマグマが補充されつつあることを示すと考えられている。この膨張は間欠的で、ときどき膨張速度が落ち、時には数週間停止することもある。しかし、これまでのところ膨張は常に再開しており、これは数年以内に噴火が起こる可能性が高いことを示している可能性もある。膨張は地震活動の増大にともなって起こっている。群発する深い地震は2004年7月に始まり、この年の終わりまで続いた。地震は最初の3週間は1日に1回の割合で検知されていたが、その後しだいにその数を増し、年末には1日に15回程度になった。群発地震2004年12月に終わり、それ以来地震レベルは穏やかに上昇しているのみである[20]割れ目3からの噴火(2022年11月29日)

最近では、1984-85年の噴火で流動性のアア溶岩の流れがヒロの町に迫って以来しばらく休止状態であったが、2022年11月27日午後11時30分(日本時間28日午後6時30分)ごろから12月初旬にかけて38年ぶりに大きな噴火があり[21]、山頂付近への立ち入りが禁止され、周辺の道路数本が閉鎖されたほか、被害の予防措置として避難所2か所が開放された。数条の割れ目から出た溶岩の流れのひとつが、ハワイ島東西(ヒロ?カイルア・コナ)の交通量が多いサドル・ロードに2.7キロメートルまで迫った。
キラウエアとの関係ハワイ島を形成する5つの火山

キラウエアはマウナ・ロアの南麓に位置し、かつてはマウナ・ロアの衛星火口だと考えられていた。しかし、2つの火山が作る溶岩が化学的に異なることは、浅い部分にそれぞれ別のマグマ溜りを持つことを示す。ただし、両火山の活動パターンは相関しているとも解釈できる。

2つの火山間の分かりやすい相関として、一方の火山活動が活発な時期と他方の活動がおだやかな時期がそれぞれ重複するということである。たとえば、1934年から1952年の間、キラウエアは休止しマウナ・ロアだけが活発であったが、1952年から1974年の間は、キラウエアが活発でマウナ・ロアが休止していた[22]

1984年のマウナ・ロアの噴火はキラウエアが噴火している間に始まったが、キラウエアの噴火への影響は認識されなかった。しかし火山活動の間どうしに相関があるように火山がもう一方の活動に影響するように見えることもときどきある。最近のマウナ・ロア山頂の膨張はキラウエアのプウ・オオ火口における新しい大規模な溶岩流が停止したのと同じ日に始まった。地質学者たちはマウナ・ロア深部のマグマ供給系に注入されるマグマの「パルス」がキラウエア内部の圧力を増大させて噴火の引き金を引くのかもしれないと示している[22]
危険

ハワイ島における火山噴火が死者を出すことは滅多にない。20世紀に起こった火山活動が原因の死者は1924年にキラウエアで発生した一件のみである。このとき、通常見られない爆発的噴火が飛ばした岩石が見物人に当たり、一人が死亡した[23]。マウナ・ロアは防災十年火山の一つであった。これは頻発する噴火と居住地域への近さに鑑みて特別の調査に値すると認定されたことを意味する。この火山の近くにある多くの町と村が過去200年に噴出した溶岩の上に構築されていて、将来の噴火が居住地域に損害を与える可能性は非常に高い。
溶岩流1984年の噴火で植生の上を流れる溶岩流


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