マウスコンピューター
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そこでマウスコンピューターは商社を買収して部品管理を任せ、受注情報を10分単位で商社と共有するITシステムを構築して[8]、在庫で損が出ないような仕組みを構築している。また「Microsoft PLATINUM OEM」「Microsoft Partner Program 認定ゴールドパートナー」「インテル テクノロジー・プロバイダー」などの認定を受け[9]、並行輸入ではなく正規の卸売業者を通じてメーカーから部品供給を受ける体制をとっている。インテルはこの流通ルートを「チャネル」と呼んでおり、大手家電メーカー向けのダイレクトOEM(数カ月)と比べて、数日?数週間で最新技術にいち早く対応できる点が特徴である[10][11]。マイクロソフトも大規模な「システムビルダー」として厚遇しており、パートナープログラムの2段階の認定レベルのうち上位の「ゴールド」レベルとして処遇している[12]。またOEMコンピテンシーについては更に「プラチナ」の称号も与えているようである。
飯山産飯山事業所

マウスコンピューターは月産数千?数万台(推定)について、以前は日立製作所豊川工場[13]、後に神奈川県(綾瀬・湘南)や島根県(出雲)[11]など複数の工場に生産委託をして対応していたが、最近は買収したイーヤマのモニタ工場で自社組み立てを行っている[14]長野県飯山市の工場はセル生産方式を採用し、ベルトコンベアを使った流れ作業ではないが、イーヤマ時代の試験設備やノウハウで品質を高め「飯山産」をブランドにしようとしている[15]。特に組立・構成ミスの防止と出荷時の動作保証にはこだわりを持って取り組んでおり、法人向けの「MousePro」では専用ラインを設けて手厚く対応している[16]
コストパフォーマンス

大手家電メーカーの製品と比較して、相対的な低価格を実現させるために様々な企業努力を行っている。たとえばアロシステムやシネックスと「PCジャパン」を設立して、部品の大量購入・共同生産・物流の一本化などのサプライチェーン・マネジメントを行ったり[17]コールセンターが集積する沖縄の「情報特区」[18]で電話サポートを行って人件費抑制を図っている。この価格競争力が商品の最大の強みである。

マウスコンピューターは日経パソコンの「パソコン満足度ランキング」のデスクトップ部門で、2008年から連続してトップ10に入っている。最高は2008年の2位で[19]、その後徐々に下落し2011年は8位である[20]。特にコストパフォーマンスが評価されており、2008年には1位を記録した。一方でサポートは2011年に11位に下落している[21]
沖縄コールセンター

マウスコンピューターは、24時間365日の電話サポートを提供している。夜間・深夜・早朝の問い合わせは4割もあり土日も熱心にかけてくる[22]ので、ユーザーのライフスタイルに合ったサービスを提供しているといえる。

問題はつながってもすぐ切られてしまう「提案切り」である[22]。マウスコンピューターは2006年に沖縄のコールセンターを買収して、電話対応をプロに任せた。しかし評価基準は「受電率」であり、オペレータはユーザーを待たせずに電話に出さえすれば良く、FAQの一覧表示を見ながら対応して、解決はユーザーに丸投げし、他の電話に出ることが優先された[22]。そこで2010年からは沖縄のコールセンターを自社運営して、ユーザーの問題が解決するまで対応することにした。

また、ウェブサイトの情報不足も「パソコン満足度ランキング」で不評と評価される一因となった[23]。そこでマウスコンピューターは、オペレータ向けのFAQ情報を3000件から1万件に増やし、一部を顧客がシリアルナンバーで検索できるようにした[22]
埼玉サービスセンター

マウスコンピューターの修理拠点は歴史的に春日部市とその周辺にあり(当初は春日部市、後に北葛飾郡杉戸町)、現在も「埼玉サービスセンター」(春日部市)として所在する[24]。サービスセンターには修理情報を収集する「修理技術グループ」や修理を行う「修理作業グループ」(約50人)、連絡業務を行う「修理連絡グループ」などが存在し、「修理作業グループ」は勤続10年以上のベテラン技術者が多いようである。修理は受付・診断・修理・品質検査・出荷の5段階で行われる。まず顧客からパソコンが送られてくると、添付品の確認や写真撮影を行い、「RPFA」(Repair Force Automation) と呼ばれるデータベースに入力する。このデータベースは沖縄のコールセンターとも連動しており、サービスセンターでも顧客の問い合わせ状況を把握できるようになっている。次に診断技術者がパソコンをLANに接続して診断用のプログラムでコンピュータウイルスをチェックしたり、部品単位で動作確認を行ったりする。合計27項目の診断を行い、必要に応じて「修理連絡グループ」が顧客に対して問い合わせも行う。故障箇所を特定したら、修理技術者が修理を行う。最後にQC技術者が18項目を確認して品質を確かめてから、顧客に返却する。2012年現在、到着後24時間以内の修理比率は約2割で、これを5割以上にするために体制の見直しを行っているという。なお故障内容の7割は電源まわりだと言う[24]
ユーザー層

日経パソコンの「パソコン満足度ランキング」によると、初心者8%・上級者25%・職業利用者11%で[23]、プライベートユーザーが多い。NEC富士通 (17%) のように初心者率が高い訳でもなく、レノボ (36%) やパナソニック (31%) ほどは上級者を名乗るパソコン歴が長いユーザーもいないようであるが、職業利用者率は12位中10位(最下位)でパナソニック (43%) やエプソンダイレクト (22%) 、デル (20%) と比べれば半分である。
歴史

マウスコンピューターは当時19歳だった島勇二が、祖父の代から続く「高島屋衣類店」の経営危機を乗り切るために[13]パソコン通信を使ったパソコンの製造販売を始めたことに始まる。ちょうどその頃、日本ではDOS/Vが普及し、デルや秋葉原の「DOS/Vショップ」がBTOパソコンを販売し始めていた。1995年にMicrosoft Windows 95が発売されると、パソコンはヒット商品となり、日経トレンディの番付にも登場した。島は3時間しか眠らずに無休でパソコンの組立や顧客対応に追われた[8]

1998年、「有限会社タカシマ」は株式会社化し「マウスコンピュータージャパン」となった。社名の由来はマウスのように、「人とパソコンの橋渡しを行い、つねにお客様の視点から、より快適なパソコン環境作りに役立っていける存在でありたい」という願いからである[11]。しかし、その後の組織変更によって、社名が消滅してブランドとしてのみ継続使用されている時期があった。

その間に存続会社である「MCJ」は上場して資金を調達し、PCパーツの大手総合商社「シネックス」の日本法人を買収し[25]、メモリモジュールを製造販売するアドテックと資本提携[26]するなどして、部品調達や販路を拡大し、企業グループを形成していった。2004年頃は大手家電メーカーのパソコン販売が低迷する一方で、BTOメーカーやホワイトボックスメーカーが業績を伸ばしていた。MCJは約108億円を売り上げ、出荷台数の成長率は144.4%に達した[27]。2006年には、「マウスコンピューター」が独立した会社として再設立された。2007年にMCJが「TWO TOP」や「フェイス」「パソコン工房」などの親会社であるユニットコムを買収し、グループの売上高は1000億円を超えた[5]。グループの「完成品PC製造」の売上高は推定約330億円 (約32%) となり、ホワイトボックス市場におけるシェアは50%を超えた(自称)[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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