マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
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バンドの表立った活動が長らく休止状態な中、ケヴィンは他のバンドのリミックスやプロデュース、プライマル・スクリームにサポート・ギタリストとして参加、2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』でブライアン・レイツェルと共同で音楽を担当(サントラCDも出ている)などのソロ名義での楽曲発表、パティ・スミスとのジョイント・ライヴ(「ザ・コーラル・シー」という題で2008年にCD化)などを行い、ビリンダはヒップホップ・ユニットにフィーチャーされ、デビーはSnowponyでベーシストとして活動した。

2007年に再始動を発表。新曲・新作の発売は相変わらずされないものの、久しぶりにライブ活動が行われ、日本ではFUJI ROCK FESTIVAL'08へ参加した。その後数年にかけて、『ラヴレス』発売当時のライブでは表現出来なかったことが音響技術が進んだ今なら出来るとして『ラヴレス』時の曲を中心としたライブ活動を行っている。

なお、ライブでは大音量で演奏する轟音バンドとして知られ、耳を守るためライブ会場で耳栓が配られることもあるほどである。
レーベルの移籍、沈黙、そして再始動2008年撮影

1990年代始めにレーベルをクリエイションからアイランドに移籍した。これは、アルバム『ラヴレス』の制作に約2年の長い時間がかかり、制作費が25万ポンド(当時の日本円で約4500万)もかかったために、クリエイションが倒産寸前になってクリエイションのアラン・マッギーらとの人間関係が悪化したからと言われている。

その後は、新作やリマスター盤、ライブ活動再開の話が度々メディア上に出てくるものの、それらが実現したことはなく、長い期間沈黙していた。しかし、2008年6月にイギリス・ロンドンのラウンドハウスにてライブを行い、7月には日本のFUJI ROCK FESTIVALにも出演して初日のヘッドライナーを務め、最終曲の「ユー・メイド・ミー・リアライズ」の間奏では15分にも及ぶフィードバックノイズを披露し、復活を印象付けた。
リマスター盤の発売

永きに渡り出ると言われては中止になっていた『イズント・エニシング』と『ラヴレス』のリマスター盤が、2012年5月に発売された。両作品ともケヴィン・シールズ自身の手によりオリジナルマスターテープからリマスタリングが施されている。『ラヴレス』は前述リマスターに加えオリジナル1/2インチアナログ・テープからのマスタリングの2枚組での発売。

日本では5月のリマスター盤発売に合わせて音楽雑誌各誌で特集もされ、2013年2月に約22年ぶりに大阪東京で単独来日ツアーを行うことも発表された[5]
m b v

2013年2月2日、突如22年ぶりのニューアルバム『m b v』を「本日中にリリースする」と発表。バンドの公式ウェブサイトでオンライン販売が開始された。
サブスクリプション解禁

2021年3月31日、Domino Recording Companyに移籍したことが発表され、それに伴い楽曲がストリーミングで全世界に配信された。同年12月、Spotifyはユーザーが楽曲の歌詞を登録できる機能を追加したが、それにより楽曲につけられた歌詞を「Spotifyが我々の知らない間に虚偽の歌詞を楽曲に付けていることに今気づいた。これらの歌詞は完全に間違いであり冒涜だ。どこからこの歌詞を引っ張ってきたのか知らないが、これらの滅茶苦茶な歌詞のうち一つは確かにインターネットのサイトから引用されている」とツイートし批判した。[6]出典の記事によれば歌詞は1月21日までに削除された。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが楽曲の歌詞を公開したことは一度もない。

2021年一月には日本のギター・マガジンで特集が組まれ、3時間に及ぶ25000字のケヴィン・シールズのインタビューが掲載された。
彼らの音楽的な影響

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが少年期に大きく影響を受けたのは、ラモーンズ[7]、 ザ・クランプス[8]ジョイ・ディヴィジョン[8]スージー・アンド・ザ・バンシーズ[9]ザ・キュアー[9]や、キリング・ジョーク[9]バーズ [8]ジーザス&メリーチェイン[8]ダイナソーJr.[10]ソニック・ユース[10]
メンバーケヴィン・シールズ(1989年)ビリンダ・ブッチャー(1989年)

ケヴィン・シールズ(Kevin Shields、1963年5月21日 - ) - ボーカルギターベースサンプラー
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年版で第95位。

コルム・オキーソーグ(Colm O Ciosoig、1964年10月31日 - ) -ドラムスパーカッション

ビリンダ・ブッチャー(Bilinda Butcher、1961年9月16日 - ) - ボーカル、ギター

デビー・グッギ(Debbie Googe、1962年10月24日 - ) - ベース

作詞・作曲といった曲作りはバンドの中心人物であるケヴィンの手によるものがほとんどである。他にはコルムが作曲を、ビリンダは作詞を手がけている。『ストロベリー・ワイン』時以来男性2人、女性2人という現在のメンバー構成である。
作品
アルバム

イズント・エニシング Isn't Anything (1988年)1stアルバム。音楽的には、今日一般に想起されているような彼ら自身が次作で確立したサウンドとは少し違い、ノイズロックと甘いサイケデリアの融合と言った方が近いサウンド。オルタナティヴ・ロック黎明の波に後押しされて大きく評価され、その後のシューゲイザーサウンドの方向性を決定的にした[11][出典無効]。英国盤LPの初回プレス盤(5000枚)には7インチシングルが付属しており、無題の(もしくは「インストゥルメンタル」と題された)曲が2曲収録されていた。この2曲は2012年に発売されたEp's 1988-1991に収録されている。日本盤CDは、2回再発されリマスター盤も出たので全部で4種類存在する。

ラヴレス Loveless (1991年)代表作であり、シューゲイザーの金字塔とされる2ndアルバム。この作品以前に存在したどのサイケデリック系アルバムとも違い、音像全面を埋め尽くすようなディストーションをかけたノイジーなギターサウンドの多用と、その隙間から淡く出現するような浮遊感のある美しいメロディーが特徴的。この方法論は多くのミュージシャンに影響を与え、多くのフォロワー作品を生み出した。[注釈 3]日本盤CDは、オリジナル盤(タイトルは『愛なき世界』)と再発盤とリマスター盤の3種類存在する。リマスター盤は先述のとおり2枚組。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』において、73位にランクイン[12]

m b v (2013年)

シングル・ミニアルバム

いずれも日本盤は出ていない。

ディス・イズ・ユア・ブラッディ・ヴァレンタイン this is your bloody valentine / 1985年

ギーク geek / 1985年

ザ・ニュー・レコード・バイ・マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン The New Record by My Bloody Valentine / 1986年

サニー・サンデー・スマイル sunny sundae smile / 1987年

ストロベリー・ワイン strawberry wine / 1987年この作品から現メンバー構成となり、音楽性も後の作風に近づく。サウンド的にはみずみずしいギターポップ寄り。

エクスタシー ecstacy / 1987年

ユー・メイド・ミー・リアライズ you made me realise / 1988年
この作品でブレイクする。ノイジーなギターの洪水という音像の特色が確立する。

フィード・ミー・ウィズ・ユア・キス feed me with your kiss / 1988年


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