マインドコントロール
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スティーヴン・ハッサン統一教会元信者、心理学者)[22]
「個人の人格(信念、行動、思考、感情)を破壊してそれを新しい人格と置き換えてしまうような影響力の体系のことである。多くの場合、その新しい人格とは、もしどんなものか事前に分かっていたら、本人自身が強く反発しただろうと思われるような人格である。」「この技法は、ある特定の目的に向かうよう、そのように思い、考え、行動するべく誘導するものである。」
岡田尊司 (精神科医、作家)
「マインド・コントロール(心理的操作)とは、人の思考や感情に影響を及ぼすことにより、思い通りに行動を支配することだ。そこにはコントロールする側とされる側が必ずおり、両者の間には、対等とは言えない関係が存在するのが重要な特徴である。操作される側は、その信頼感を利用して、経済的、身体的、心理的、性的搾取を行うのである。逆に言えば、操作する側は、操作される側の払った犠牲によって利益を得ている[23]。」
西田公昭(社会心理学者)
「心理操作(Psychological Manipulation)という言葉の方が適格であり、国際学会ではこちらを使われることが多い。あこぎなまでにこの手法を駆使して極端に強い心理的な拘束を与え、依存、搾取、虐待、殺人といった重大な結果を引き起こす現象をひとことで言い表したいためにつくられた。 「洗脳」と呼ばれる拷問的手法とは異なり、物理的な強制を用いない代わりに、欺瞞的なコミュニケーションを用いる。 新たな意思決定装置(ビリーフ・システム)に誘導して、元には戻らせないように駆動させ続ける。」[16]「これまでの研究や報告からまとめると、破壊的カルトのマインド・コントロールを受けたメンバーは、一般に以下のような特徴を持って生活することが多いといえる。彼らは共同生活をすることも多く、一人になって何かについて自分で熟慮する時間は少ない。また彼らは切迫感と無力感とをセットにしながら恐怖感を煽られ、常に焦燥感や不安の入り混じった緊張状態におかれる。メンバーはこのような緊張状態の中で、睡眠時間も極端に少なく、ほとんど休みの日もなく、彼らは起床から就寝までスケジュールが詰まっており、過激な重労働 (新メンバーの獲得、資金調達、自己修練) に従事している。また経済的に管理され、さらには服装、異性感情、対人関係ならびに家族形態や結婚生活をも含む私生活のほとんど全てが制限・管理されているケースもある。またさらには、家族を含む反対する者を蔑視し、警戒するよう指示され、集団メンバー以外との関係を一切絶つことを強く望まれる。そしてこのような行動の全てに対して、地位や褒賞などの賞と、侮蔑、体罰、降格、追放などの罰の強化子が与えられる。以上のような生活によって、破壊的カルトのメンバーは、自己決定権を放棄して、集団のリーダーに対して全面的に依存・服従するように求められるのである。このような依存・服従と引き換えに彼らは新たなアイデンティティ、人生の目標や理想、歴史や世界観、準拠枠となる集団を獲得し、心理的な安定や幸福感を獲得する。 しかし、メンバーの中には、所属集団の破壊性や矛盾した思想を知り、心理的苦痛を伴いつつも集団からの脱会を決意する事態が生じている。一般に、集団に対して全面的に依存・服従的な状態にある者が離脱するということは、極めて重大な心理的危機を意味する。 西田 (1995)によると、脱会する事情は、@欺瞞や教義矛盾の自力発見、A組織やリーダーに対する幻減、B追放、C逃亡、D外部介入、E強制離散の6パターンであり、いかなる事情で脱会したにしても心理的なケアが必要であると指摘している。」[24]
マインドコントロール論に懐疑的な側

マインドコントロールを行うカルト側の情報提供が進まず、脱会者と支援者の証言がもとであるとして、マインドコントロール論はデータ的に偏りがあるという主張がある[25]
櫻井義秀北海道大学教授、宗教学者
「オウム真理教のような反社会的な宗教集団が存在し、多くの信者を動員して未曾有の犯罪をなしてしまったことを一般の人々に説明する格好の認識枠組みとして、ジャーナリズムがカルト、マインド・コントロール論にとびついたため、説得力のある議論として世論においても市民権を得るに至ったのである。」[19]。「マインド・コントロールという理論は、態度変容を遂げた人物と利害関係を持つアンチ・カルト集団が、信者の奪回・脱会を促進するという自らの行動を正当化するために用いている議論であり、立論の当初から価値中立的なものではなかった。」[19]「現代の資本主義システム社会は自身の再生産のために、消費者の欲望を喚起して需要を掘り起こすコマーシャリズムの戦略を採らざるを得ない。このような消費社会においては、情報・シンボル・記号による他者の操作が日常化しているために、個人のアイデンティティ、近代的個人という概念自体が揺さぶられている。自分がいつの聞にか誰かに操られているのではないかという感覚はそれほど特殊なものではないのかもしれない。これがマインド・コントロール論を受容する主要な要因であろう。」[26]。「1995年3月20日の地下鉄サリン事件以来、オウム真浬教信者の行動原理を説明する論理として「マインド・コントロール」という言葉がマスメディアに流行したが、言説レベルの「マインド・コントロール論」と、不法行為責任を追及するために相当因果関係を説明する議論として主張された「マインド・コントロール論」は次元を異にする。」[11]「(櫻井は)「マインド・コントロール論」による入信の説明は、宗教社会学の議論からは認めることができないと年来主張してきたが、「マインド・コントロール」という社会的告発に相当する宗教集団がひきおこした社会問題が存在していることは認めてきた」[11]
大田俊寛(宗教学者)
「オウム問題とは、「教団が無垢な一般人をマインド・コントロールして入信させた」「教祖である麻原彰晃が信者たちをマインド・コントロールしてテロを遂行させた」という単純な構図で分析され得るようなものではまったくなく、管見の限りでは、マインド・コントロール論を用いてオウムという現象を一貫して説明し得たような著作や論文も存在しない。」[3]「マインド・コントロール自体は良くも悪くもない、カルトがその技術を「悪用」していることが問題だ、と主張されるが、もしそうなら、カルト問題にあえてマインド・コントロール論を持ち出す意義自体が消滅する。」[3]「社会心理学が指摘したように、近代の社会システムにおいて人間は、受動的・依存的になりやすい。とはいえ、「人間が集団の力や場の力に支配され、あたかもロボットのように精神を完全にコントロールされてしまう」というのは、明らかに現実離れした極論。 本来われわれが目標とすべきは、近代の人間が受動的・依存的になりやすいという事実を認めた上で、そこから脱却する方途を見出すことであったはず。そのためには、周囲からいかなる影響を受けようとも、最終的には自ら考え、自ら決断し、自ら責任を取らなければならないという、主体性の原理の重要性を強調し続けなければならないし、同時に、健全な主体性を発揮するために必要とされる幅広い知識を身に付ける努力を怠ってはならないだろう。」[3]
論点


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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