近代のマインドコントロールは、1950年代に中国共産党が反対者の転向に用いた「洗脳」が知られている[17]。1940年代の中国で共産主義に賛同しない人間を収容施設で思想改造しようとした試みを研究したロバート・J・リフトン著作『思想改造の心理──中国における洗脳の研究』(1961年)がマインドコントロール論の出発点とされる[3]。調査した25人のうち、共産主義に転向した者は1人のみであり、リフトンは「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムはたしかに、失敗だと判断せねばならない」と述べている[3]。しかし、心理学者のスティーブン・ハッサンは、現在は当時より遥かに洗練されたマインドコントロールの技術が、たくさん存在していると述べている[18]。
1970年代のアメリカ合衆国において、当時史上最大の被害者を出したカルト教団の集団自殺人民寺院事件があり、カルト宗教の信者などが周囲から見てまったく別人のように人格や性格が変わり、以前のような普通の家庭生活を送ることやカルト宗教から脱会させることが困難になるなどし、家族・友人らによってカルトの恐怖が広く語られるようになった[19]。 1990年代に統一教会などの報道を通じ、統一教会信者の脱会運動に取り組む弁護士らによりマインドコントロールは語られるようになった[19]。1992年の統一教会の合同結婚式に参加した山崎浩子が、翌1993年に婚約の解消と統一教会から脱会を表明した記者会見で、「マインドコントロールされていました」と発言したことによりこの語が広く認知されるようになった[20][21][10]。山崎浩子がこの言葉を知ったのは、統一教会脱会信者の支援を続けている弁護士・牧師グループを通じてであり、彼らはスティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』に依拠していた[10]。日本にマインドコントロール論という概念を紹介し、メディアに広め用語として定着させたのは、統一教会信者の奪回・脱会を目的とする立場に立つ人々だった[19]。社会心理学者の西田公昭は、この記者会見の報道の際に、マインドコントロールの定義をきちんと説明する人がなく、「心の操作」「精神の操作」「自分自身の心の調整」など、様々な意味に使われるようになってしまったと述べている[11]。 同年4月にハッサンの著作が統一教会信者の脱会カウンセリングを二十年来続けていた浅見定雄の訳で刊行され[10]、1995年には社会心理学者の西田公昭が『マインド・コントロールとは何か』を出版したことにより、「カルト」を恐れ嫌悪する感情の後押しを受けて急速に広がっていった[3]。西田公昭の議論はハッサンの議論を心理学実験の傍証によって発展させたものとされる[10]。櫻井義秀によると、彼以外にマインドコントロール論を専攻している学者はみられない[10]。 オウム真理教は1994年まで、現代社会こそがマインドコントロールの場に他ならないという主張を、機関誌を通じて盛んに行っていた[19]。1995年にオウム真理教事件(地下鉄サリン事件)が起こると、オウム真理教は逆に信者をマインドコントロールしていたという批判を受けることになった[19]。 オウム真理教事件に対して、マスコミや反カルト運動家は、マインドコントロールという言葉を犯罪を犯した信者の心理状態を示すものとして使用した[19]。さらにオウム真理教の信者の裁判で、信者の心理鑑定の証人として一部の心理学者がマインドコントロール論を述べ、オウム真理教がマインドコントロールを行っていたと社会的に公認された[19]。被告の信者の中には、法的戦術としてマインドコントロールされていたことを主張し「尋常な精神状態ではなかったために責任能力を欠いている」ことを弁護するものも出た[19]。
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