1939年、ニューヨークのイタリア系アメリカ人の家庭に生まれる[1]。1956年、ロングアイランドのウェストバリー高校を卒業。チミノはミシガン州立大学に入学し、グラフィック・アートを専攻した。同大学には3年間だけ在籍し、イェール大学に入学[1]。在学中の1962年には陸軍予備役に入隊している[3]。
イェール大学卒業後はマンハッタンで広告業界の仕事に就き、TVコマーシャルの監督として名を馳せた[4]。
1971年、ロサンゼルスに移り住み、脚本家に転身する[1]。ダグラス・トランブル監督の『サイレント・ランニング』(1972年)とクリント・イーストウッド主演の『ダーティハリー2』(1973年)の2作品の脚本を書く(いずれも共作)。
1974年、クリント・イーストウッド主演の『サンダーボルト』で監督デビューを果たす[5]。1978年、ベトナム戦争に材をとった『ディア・ハンター』で、アカデミー監督賞を受賞[1]。
1980年、『天国の門』を監督。しかし、撮影日数の超過やセットの組み直し、作中では重要ではない機関車の調達などを行い、製作費が4400万ドルにまで達し、興行収入は350万ドルを切る莫大な赤字を出した。結果、製作のユナイテッド・アーティスツが倒産する「映画災害」を引き起こした。以降数年間映画界から干されることになる。
1985年、ディノ・デ・ラウレンティスの制作で『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』を監督する[6]。2001年、初の小説『Big Jane』をガリマール出版社より出版する[7]。2012年の第69回ヴェネツィア国際映画祭において、「ペルソール2012賞」を受賞したほか[8]、『天国の門』のデジタルリマスター版が上映された[8]。
2016年7月2日、自宅で逝去したことが発表された。死亡日時や死因は不明。77歳没[9]。
フィルモグラフィー
監督
サンダーボルト Thunderbolt and Lightfoot(1974年)
ディア・ハンター The Deer Hunter(1978年)
天国の門 Heaven's Gate(1980年)
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン Year of the Dragon(1985年)
シシリアン The Sicilian(1987年)
逃亡者 Desperate Hours(1990年)
心の指紋 The Sunchaser(1996年)
翻訳不要 No Translation Needed(2007年) - オムニバス『それぞれのシネマ』の一編
脚本
サイレント・ランニング Silent Running(1972年)
ダーティハリー2 Magnum Force(1973年)
戦争の犬たち The Dogs of War(1981年、ノンクレジット)[10]
ビブリオグラフィー
Big Jane(2001年)
Conversations en miroir(2003年) - Francesca Pollockとの共著
脚注^ a b c d e Jitendra Uttam (2007). “Cimino, Michael (1939-)”. In Benjamin F. Shearer. Home Front Heroes: A Biographical Dictionary of Americans During Wartime, Vol. 1. Greenwood Press. pp. 159, 160
^ “Michael Cimino, director of The Deer Hunter and Heaven's Gate, dies aged 77