マイケル・ケイン
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主演男優賞
1983年リタと大学教授
フェローシップ賞
1999年
ゴールデングローブ賞
男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1983年『リタと大学教授』
1998年リトル・ヴォイス
男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)
1988年切り裂きジャック
全米映画俳優組合賞
助演男優賞
1999年『サイダーハウス・ルール』
その他の賞

備考
ハリウッド名声の歩道
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サー・マイケル・ケイン(Sir Michael Caine, CBE1933年3月14日 - )は、イギリスの元俳優[1]
経歴

南ロンドンの現サザーク区のロザリス(en)で生まれ、キャンバーウェルで育った。第二次世界大戦中はロンドン北方160kmにあるノーフォークの村ノース・ランクトン(en)へ疎開した[2]。戦後、兵役でベルリン韓国に赴いた後、舞台監督の助手などを務めながら演技を志し、ロンドンの演劇学校で学び、舞台俳優となった。

デビューしたときのステージネームはマイケル・スコット(Michael Scott)であったが、同名の俳優がいたため、その名を変更しなければならなかった。ロンドンのレスター・スクウェアの電話ボックスでエージェントと名前変更の話をしていたとき、辺りを見回すとオデオンで偶然『ケイン号の叛乱』が上映されており、姓をケインに決定した。後年インタビューで、その時上映されていた映画が『101匹わんちゃん大行進』だったなら、名前は「マイケル・101・ダルメシアン」だったろうと冗談交じりに話した[3]

1956年、『韓国の丘』の脇役としてスクリーンデビュー。下積みが長かったが、1964年の『ズール戦争』の陸軍中尉役で注目され、1965年にはレン・デイトンのスパイ小説を原作とした『国際諜報局』で主演。この映画では『007』シリーズのジェームズ・ボンドアンチテーゼである、眼鏡を掛けたシニカルなサラリーマンスパイのハリー・パーマーを飄々と演じた。『ハリー・パーマー』シリーズは続編2作が作られ、ケインは一躍人気を得る。クールでシニカルなキャラクターは、その後もケインの得意とする役柄となった。

続いて主演した『アルフィー』のプレイボーイ役では、全米映画批評家協会賞最優秀男優賞を受賞し、アカデミー主演男優賞候補となった。その他に、当時遥かに格上だった名優ローレンス・オリヴィエと五分に渡り合う演技をみせた『探偵スルース』、『リタと大学教授』、『愛の落日』でもアカデミー主演男優賞候補となる。そして『ハンナとその姉妹』、『サイダーハウス・ルール』で、二度の助演男優賞を受賞している。2008年、ノーベル平和賞コンサートでスカーレット・ヨハンソン

叙情的なシリアスプレイからコメディでの好色でとぼけた役までその演技の幅は広いが、スケジュールと出演料の都合さえあえば作品を選ばない主義である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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