マイアミ・マーリンズ
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選手もティム・レインズ親子が入団、2001年9月からはエクスポズから移籍したラリー・ベインフェストが球団共同代表に就任し、エクスポズ色の強いチームになった。

2003年はシーズン途中から監督に就任したジャック・マキーオンの下、ワイルドカードでプレーオフへ進出してリーグ優勝を達成。ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝2敗で破り、2度目の世界一に輝く。しかしこの時も、直後のオフシーズンでデレク・リーをトレードへ放出するなど主力選出の放出、FA移籍が相次いだ。

2005年シーズン終了後に監督のマキーオンが退任、カルロス・デルガドフアン・ピエールジョシュ・ベケットなど、主力選手のほとんどをトレード(一部選手はFA)で放出する2回目の「ファイヤーセール」を敢行して、残った主力はミゲル・カブレラドントレル・ウィリスなどごく少数だけになった。MLBでは破格の1500万ドル程度という安さのチーム年俸総額となる(これは当時デレク・ジーター一人の年俸にも及ばなかった)。これについては主に球界からは年俸削減と多数の若手有望株の獲得を同時成功させたラリー・ベインフェストGMを評価する声が上がっている。しかし、メジャーでの実績がほとんど無い選手が大半を占めるメンバー構成、そして、「どうせ近々移転してしまう」という諦めムードもあり、残っていたファンも大半が愛想を尽かし、観客動員はより一層減少してしまった。

2006年、監督に元ニューヨーク・ヤンキースの捕手ジョー・ジラルディが就任。5月末時点では11勝31敗と借金20を抱えていたが9月3日には勝率を5割に戻し、最終的には地区4位に終わったものの一時はワイルドカード争いに顔を出すまでの追い上げを見せた。20もの借金を抱えたチームが一時的であれ勝率5割まで持ち直したのは、1899年のルイビル・カーネルズホーナス・ワグナーで有名)以来107年ぶりの快挙だった。しかし、ジラルディはオーナーと真夏の試合中に口論し、機嫌を損ねたオーナーにシーズン終了後に解雇された(後にヤンキースの監督に就任)。

2007年オフには、ついにミゲル・カブレラ、ドントレル・ウィリスをデトロイト・タイガースに放出。チーム年俸総額の半分弱を占めていた両選手の放出により年俸総額は約3000万ドルから約1600万ドルまで減り、タンパベイ・レイズの約2400万ドルを「抜いて」年俸総額はMLB最下位となった。

2008年、2009年とMLB最下位の年俸総額ながら2年連続で勝ち越し、2009年はシーズン終盤までワイルドカード争いに加わるなど健闘を見せたが、あまりにも資金を出し渋る球団に対して「(低年俸球団に分配金が与えられる)収益分配制度を悪用している」という批判の声が高まり、2010年1月には遂に、メジャーリーグ選手会と、コミッショナーのバド・セリグに年俸総額の引き上げを約束させられる異例の事態に発展した[3][4]

2011年、ジャック・マキーオンが監督代行に就任。しかし故障者が続出し、4年ぶりの最下位に終わった。
マイアミ・マーリンズ時代

球団発足から2011年まで使用していたサンライフ・スタジアム(旧称ドルフィン・スタジアム)は街外れで不便な上、風雷雨にさらされやすい気候にも拘らず屋根が無いため、2011年シーズンは雨天中止が一番多かった。また、本来アメリカンフットボール用のため、座席の配置(座席が本塁ではなくフィールド中央を向いている)・フィールドの仕様などを見ても、野球に適した競技場ではなかった。

移転の噂が囁かれる中、2007年12月18日に新球場を含めた公共施設の建設計画が承認され、2月中にも正式契約を結ぶ運びとなった。新球場マーリンズ・パークは開閉可能な屋根付きで、37,000人収容。建設費用は約5億2500万ドルでマイアミ・オレンジボウル跡地に建てられた。当初は2011年シーズンにオープン予定であったが、着工の遅れから2012年3月5日に開場した。

本拠地の完成にともない、球団は2012年よりマイアミ・マーリンズに改称。監督には前年までシカゴ・ホワイトソックス監督であったオジー・ギーエンを迎えた他、2010年の最優秀救援投手ヒース・ベルや2011年の首位打者ホセ・レイエスを獲得するなどの大型補強を行い、新球団名でのシーズンを迎えたが、69勝93敗でナショナルリーグ東地区最下位に終わり、ギーエンは解任された。新監督には球団OBのマイク・レドモンドが就任した[5]

また選手についても、長年チームの主力選手であったハンリー・ラミレスアニバル・サンチェスがシーズン中にトレードで放出されたほか、11月には「大型補強組」だったレイエス、マーク・バーリー、生え抜きのジョシュ・ジョンソンなど主力5選手を一気にトロント・ブルージェイズにトレードで放出、同じく「大型補強組」のベルをアリゾナ・ダイヤモンドバックスにトレードで放出するなど、前オフの大型補強から一転、球団史上3回目の「ファイヤーセール」が行われる形となった。この放出劇に対しては(単なるファンというだけでなく、新球場の建設費を自分たちの納めた税金で負担した)地元住民から「裏切り」として大きな反発が起こったほか、メディアからも一斉にオーナーのローリアを非難する声が上がった[6]。また、チームの主砲であるジャンカルロ・スタントンも自身のツイッターで球団に対する怒りを爆発させている[7][8]

新球団名2年目の2013年もファイヤーセールによってチームが瓦解し、62勝100敗とワイルドカード争いはおろか、ナショナルリーグ東地区でも最下位に沈んだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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