ポール・ワトソン
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1993年に著した著書で、ワトソンは地球防衛戦士の教えとして、派手派手しいドラマを演出し相手を騙しなさい、信頼を得るために犠牲者のふりをしなさい、などと記した[28][29]。シーシェパードの反捕鯨活動は現在アニマルプラネットで放送されているドキュメンタリー番組『クジラ戦争(Whale Wars)』として注目を集めている。

2012年3月、クロマグロ漁師から賄賂をもらっているとワトソンから非難されたマルタ首相ローレンス・ゴンジは、国会答弁でワトソンを名誉毀損で訴えると断言した[30]

同年5月、2002年に映画『シャークウォーター(Sharkwater)』を撮影した際にグアテマラ沖でコスタリカのサメ漁船の航行を妨害した容疑でフランクフルトにて逮捕された。身柄はコスタリカに引き渡される予定であったが[31]、7月、保釈中にドイツから出国して所在不明となり、コスタリカの要請を受けた国際刑事警察機構(ICPO)は、ワトソンに対する国際指名手配を情報提供などを求める「青手配」から、身柄引き渡しのために逮捕を求める「赤手配」に格上げした[4][32]。またICPOは、同年9月に、ポール・ワトソンの日本の調査捕鯨妨害の件についても日本の海上保安庁から要請を受けて「赤手配」をしている(後述)。

その後、約1年3ヶ月にわたり南太平洋上を航行していたとされる。2013年10月28日、日本鯨類研究所がシーシェパードに対して調査捕鯨妨害の差し止めを求めて起こした民事訴訟に出廷するため、アメリカ合衆国に入国[33]。11月6日、シアトルの連邦高等裁判所で証言台に立った[34]
日本との関係

1982年、イルカ漁に抗議するために訪日し、朝日新聞から「イルカの使者」と呼ばれた[35]。イルカ漁を止めれば1頭につき100ドルを支払うが、止めないならばシー・シェパード2世号を自沈させて港を封鎖すると脅したが[36]長崎県壱岐で県水産部次長と話し合いをもった結果、漁民はイルカを積極的に捕獲しているのではないという説明に納得して何もせずに帰った[35]

2010年6月に、海上保安庁は調査捕鯨を妨害した容疑でポール・ワトソンの逮捕状をとり、国際刑事警察機構(ICPO)に青手配(犯罪に関連していないか追加情報の提供を求める)を請求し、ICPOが各国にこれを実施したが、ポール・ワトソンは共同通信の電話取材に対して「日本政府はわれわれが(次の捕鯨シーズンに)南極海に行くのを阻止しようと、あらゆる手段を取ろうとしている」と政治的な意図があると批判した。逮捕状に関しては「全く心配していない」と強調した[37]

2010年、シーシェパードの抗議船アディ・ギル号は日本の捕鯨監視船第2昭南丸と衝突し沈没したが、アディ・ギル号元船長のピーター・ベスーンに「ワトソンがPR目的のために、沈めるよう指示を出した」と自作自演行為であったことを暴露され、「不正直だ」「道徳的に破綻している」と批判された。

2010年、CNNテレビのトーク番組に出演し「経済的に日本の彼らを痛めつけるのが、捕鯨中止への最善の方法」とし、「彼らはわれわれを殺そうとしているが、われわれは彼らを負傷させていない」と語った[38]

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の直後、ポール・ワトソンは「捕鯨を行う日本への海神ネプチューンの怒りが津波となって日本を襲った」とする内容を含む詩 Tsunami をオンラインで投稿した[39]。これらは震災の被害者を侮辱し、また、死者を冒涜する内容であることから、人種差別であると批判されている[40]

ただ、ワトソン個人は宮本武蔵の『五輪書』を読んだ事があるため人種差別主義者ではないと言う擁護も日本の一部では存在する[41]

2012年、海上保安庁は、ICPOが2010年6月にポール・ワトソンを青手配していた件を赤手配に格上げするようを請求し、2012年9月にICPOは赤手配を各国に実施した。

2015年、慰安婦問題南京事件問題を例に「日本の教科書はまるでそうした出来事がなかったかのように残虐行為の言い逃れを行っている」などと批判。今後の展開として、(1)イルカの死が増加する (2)太平洋地域のの放射能レベルが増える (3)日本でのガン患者が増加する (4)政府は今後、ますます情報を押さえつける (5)2020年に日本でオリンピックは開かれない、と予測した。 事実として、シー・シェパードはすでに、2020年の東京五輪のボイコット運動も始めた。
私生活・性格

ワトソンは2度の離婚を経験しており(現在は3度目の婚姻)、最初の妻との間に娘をもうけている。1人目の妻スターレット・ラム[5]は、グリーンピース・ケベック支部、シーシェパード等の創立者。2人目の妻は元モデル、リサ・ディ・ステファーノで、彼女はサンファン島のフライデー・ハーバーに於けるマカ族に対しての反捕鯨キャンペーンの指揮官であった[25]


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