ポール・マッカートニー
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この頃を境に以前のような全米トップ10に入るような大きなヒット曲には恵まれなくなる[注釈 10]。一方で少年時代に慣れ親しんだロックンロールのスタンダード・ナンバーを歌った初のカヴァー集『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』を制作し、1988年ソ連限定で発表した。

1989年、シングル「マイ・ブレイヴ・フェイス」はエルビス・コステロとの共作の話題性も手伝って久々のヒット、アルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』は全世界で250万枚以上の売上を記録した。9月、マッカートニー夫妻はアルバムに参加したスタジオ・ミュージシャン4人とともに10年ぶりの本格的な公演活動を開始する。翌年にかけて行われた、のちに『ゲット・バック・ツアー』と称されたこのワールド・ツアーでは、彼が長年演奏を躊躇していたビートルズ時代の作品がセットリストの約半分を占めた。
1990年代

1990年3月にはビートルズとしての来日以来、24年ぶりの日本公演が実現。ワールド・ツアー終盤には1990年4月21日ブラジルリオデジャネイロマラカナン・スタジアム公演では18万人以上の観客を集め、有料興行の観客動員数の世界最高記録を更新した。このツアーでの演奏はライブアルバム『ポール・マッカートニー・ライブ!!』として発売され、映像は映画『ゲット・バック』として公開された。

1991年1月、MTVアンプラグドの収録を行い、後に『公式海賊盤』として発表される。マッカートニーはポピュラー音楽以外のジャンルにも挑戦し、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の創立150周年を記念した初のクラシック作品『リヴァプール・オラトリオ』を上演する。アメリカ人作曲家カール・デイヴィスとの共作で、ヴォーカリストにキリ・テ・カナワとアメリカのテノール歌手ジェリー・ハドレーを迎えたこの作品は、同名のアルバムも発表された。これ以降、現在に至るまで彼はロックやポップスと並行して数作のクラシック作品を発表している。

1993年、アルバム『オフ・ザ・グラウンド』を発表したマッカートニーは、『アンプラグド』と同じラインナップのバックバンドを率いてコンサート・ツアーを行う。『ニュー・ワールド・ツアー』と題されたこのツアーにおいて、マッカートニーは前回のツアーで訪れることのできなかった地域を中心に公演を行い、その模様をライブ・アルバムとビデオに収めた。なお、当初は日程に組み込まれていなかった日本公演も同年秋に行っている。

1994年、ビートルズの歴史を振り返るドキュメンタリー映像作品と未発表音源集を発表する『ザ・ビートルズ・アンソロジー』プロジェクトが本格的に始動した。とりわけ注目されたのが「25年ぶりの新曲発表」と大々的に報道された、レノンが1970年代後半に録音したデモテープに他の3人のメンバーの演奏を重ねて完成させるという企画である。この企画は、1980年代後半にハリスンを復帰に導いたことでも知られるエレクトリック・ライト・オーケストラジェフ・リンの協力を経て、最終的に「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」として結実した。

1995年、リンを共同プロデューサーに迎えてアルバムを制作し、1997年に『フレイミング・パイ』として発表する。この作品は全米と全英のチャート両方で高順位を記録しただけでなく、翌年の第40回グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされるなどその内容も賞賛された。

1998年、長年連れ添った妻リンダが乳癌で亡くなると、マッカートニーは自身を支え続けた愛妻の死を悼んで2作のクラシック作品を捧げ、さらに彼女が生前に提案していたロックン・ロールの傑作カヴァー集『ラン・デヴィル・ラン』を発売した。
2000年代

2001年ウイングス時代の軌跡を振り返るドキュメンタリー作品『ウイングスパン』を発表。2枚組のコンピレーション・アルバム『夢の翼?ヒッツ&ヒストリー?』も同時発売され、アメリカでは100万セットを売り上げてプラチナ・ディスクに認定された。10月20日にはマッカートニーの提唱によって、9月11日のアメリカ同時多発テロ事件による世界貿易センターの崩壊で亡くなった消防士の追悼とチャリティを目的に、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて『ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』が開かれた。ポールの呼びかけに応じ、 デヴィッド・ボウイミック・ジャガーキース・リチャーズエルトン・ジョンボン・ジョヴィ等々、多数のミュージシャンが参加した。11月にはリンダが亡くなって以来初のオリジナル・アルバム『ドライヴィング・レイン』も発表した。

2002年、アメリカで9年ぶりにツアーを行った。この公演を収めたライブ・アルバム『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』はアメリカでミリオン・セラーを記録した。同年11月には、ソロでの3度目の日本公演を行った。

2003年5月にはロシア連邦モスクワの「赤の広場」で野外公演を開き、約10万人の観客を動員した。この公演の模様を収めた2時間のドキュメンタリー番組『ポール・マッカートニー・イン・レッド・スクエア』は、第56回プライムタイム・エミー賞バラエティ・スペシャル部門にノミネートされた。


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