ポール・マッカートニー
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ビートルズ解散後はウイングスを結成し、メンバーとして活動したほか、ソロ・ミュージシャンとしての活動も行い、デビューから半世紀以上が過ぎた現在も第一線で活躍を続けている。これまでに制作した楽曲は2019年時点で500曲以上[6]で、『ギネス世界記録』に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として掲載されている[注釈 2]

弟はミュージシャンとして活動しているマイク・マクギア。
人物

イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」等といったビートルズの楽曲の作詞・作曲を行った。解散後には新たにバンド、ウイングスを結成し、「マイ・ラヴ」「007 死ぬのは奴らだ」「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」「あの娘におせっかい」「心のラヴ・ソング」「幸せのノック」「夢の旅人」「しあわせの予感」「グッドナイト・トゥナイト」などのヒット曲を発表し話題となった。1980年代に入り、ウイングスは解散、ソロ名義で活動を始めた。『タッグ・オブ・ウォー』『フラワーズ・イン・ザ・ダート』『フレイミング・パイ』といったアルバムを発表し現在に至っている。

ビートルズ時代を含め、基本的にベーシストとしてエレクトリックベースを主に使用するが、録音および公演では度々ピアノを演奏している。ギターの演奏にも定評があり、ビートルズ時代の「タックスマン」、ソロとして発売した「恋することのもどかしさ」などではギターソロを披露している。また、「カミング・アップ」「ワンダフル・クリスマスタイム」などではシンセサイザー、「ジョンとヨーコのバラード」や「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」「ディア・プルーデンス」などではドラムス、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などではメロトロンを演奏している。その他にも楽曲によりトランペットフリューゲルホルンマンドリンチェロも担当している。それを示すように、1970年に発売されたアルバム『マッカートニー』1980年の『マッカートニーII』2005年の『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』2020年の『マッカートニーIII』では、ほとんどの楽器をマッカートニーが一人で演奏している。

作曲技法はほぼ独学だが、初期はリズム・アンド・ブルースに大きな影響を受けていた。またジョージ・マーティンの影響でクラシック音楽の技法も取り入れるようになった[注釈 3]。ベースの演奏手法ではモータウンジェームス・ジェマーソン[注釈 4]、ボーカル・スタイルではリトル・リチャードの影響が強い。ビートルズのメンバーでは最も高い声域を持ち、コーラスの一人多重録音も盛んに行っている。インタビューでは、お気に入りのギタリストはジミ・ヘンドリックス、お気に入りのベーシストはクロスオーバーのスタンリー・クラークと回答している。一方でウッドベースに関しては、演奏例は皆無ではないものの、殆ど使用しない。

信条は環境保護、動物愛護、平和主義、反人種主義である。マッカートニーの差別反対が顕著に出ている例として、いわゆる「ゲット・バック・セッション」における「ゲット・バック」の歌詞を考案した際の逸話がある。マッカートニーはその日の朝刊に、イノック・パウエル議員が「移民は国に帰れ(Get Back)!」と発言したという記事があったことを引き合いに出して、歌詞に「プエルトリコ人はアメリカにいらない」「パキスタン人、仕事を奪ってはいけない」などを即興で加え、仮タイトルを "(Don't Dig) No Pakistanis"[7](「パキスタン人は要らない」)としたという[注釈 5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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