ホロコーストまでは、ポーランドには世界の70%のユダヤ人がポーランドに住みポーランド文化に影響を与えたが、20世紀に入ってもユダヤ教の古来の教えを実践しながら生活していた伝統的なユダヤ人たちの多くはホロコーストにより虐殺された。
多くはホロコーストや共産主義、反ユダヤ主義を避けてアメリカ大陸やイスラエルなどに移住した。2010年の国内ユダヤ人在住者数は3,200人となる[69]。ポーランド人の多くは先祖にサルマタイ人がいる[70]。
国民のほぼすべてが母語をポーランド語としている(ポーランド化)、併合した国の国民や多くの移民や政治難民を受け入れた過去のポーランド王国の政策を反映して、彼らの先祖は西スラブ人系原ポーランド人(レフ人)、シレジア人、リトアニア人、ロシア人、ルーシ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ルシン人)、ルーシ族(ヴァリャーグ)、ユダヤ人、サルマタイ人、タタール人、ラトビア人、バルト人、スウェーデン人、チェコ人、スロバキア人、ドイツ人、ハンガリー人、ロマ人、アルメニア人、モンゴル系民族やトルコ系民族など。家系的にもそれら多民族が通婚し、国の歴史・地理・文化的にも多民族の伝統が融合していたり、互いに同化し他国にはない独特の「ポーランド文化」とその国民心理を形成している。
約40万種類あるといわれるポーランド人の姓は、その語源に先祖となったこれら各民族の出自の名残りが見られる。
そのため単一民族、実際は東・中欧では民族のるつぼでポーランド人の多くはスラヴ系であると同時に、多民族と混血している。 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年1月)
言語
「クロシニツァ町/クロシュニッツ町へようこそ!」の看板
ポーランド語とドイツ語の併記、オポーレ市近郊詳細は「ポーランドの言語
ポーランド語は印欧語のスラヴ語派西スラヴ語群に属する言語で、チェコ語、スロヴァキア語、上ソルブ語、下ソルブ語などと共通のグループに属し、そのうち、カシューブ語などとともにレヒト諸語(レフ諸語)を構成する。
表記はロシア語などで用いられるギリシャ語から作られたキリル文字ではなく、12世紀に導入したラテン文字のアルファベットである。
少数民族の語源には、イディッシュ語、ヘブライ語やシレジア語、カライム語、ルシン語、ロマ語、タタール語がある。
かつてのポーランドで広く話されていたルーシ人・ルーシ族(ヴァリャーグ)のルーシ語は第二次世界大戦やホロコーストとヴィスワ作戦を経て国内ではほぼ消滅したとみられている。
外国語は、英語は小学校1年からの履修科目となっていて、第二外国語としてドイツ語やフランス語、ロシア語などがある。
歴史的にドイツ語圏との貿易その他の経済関係があるため、標準ドイツ語の履修者は安定して多い。
旧ドイツ領土など南部オポーレ地方ではドイツ語が地方公用語として認められ、交通標識などはポーランド語と両語表記されているが、住民のドイツ語はドイツ本土の標準ドイツ語とはかなり異なる方言で、普段の社会生活でポーランド語を使う。
冷戦時代、ロシアの支配下でのソ連化の義務教育により、1960年代中期以前に生まれた世代のポーランド人はロシア語を解する人が多い。
1989年に東欧革命で共産主義が破壊し、その後1990年代にロシア語の習得者数は激減した。
ロシア語(東スラヴ語群)はポーランド語(西スラヴ語群)と同じくスラヴ語に属し、ポーランド語話者がロシア語を修得するのは比較的容易とされる。
リプカ・タタール人は、ポーランド化しタタール語を話さなくなっている。タタール人の家系でノーベル文学賞を受賞した小説家・叙事詩人のヘンリク・シェンキェヴィチはポーランド語の小説を書いた。