(国旗)(国章)
1815年のポーランド王国とロシア帝国(薄緑色)
公用語ポーランド語、ロシア語
首都ワルシャワ
ポーランド国王
1815年 - 1825年アレクサンドル1世
1825年 - 1832年ニコライ1世
面積
128,500km²
人口
3,300,000人
変遷
ウィーン会議(成立)1815年6月9日
十一月蜂起1830年11月29日
一月蜂起1863年1月22日
ポーランドの歴史
ピャスト朝
10世紀 - 1370年
プシェミスル朝 1300年 - 1306年
ポーランド・アンジュー朝 1370年 - 1399年
ヤギェウォ朝 1399年 - 1572年
ポーランド・リトアニア共和国(第1共和制) 1569年 - 1795年
ポーランド分割 1772年、1793年、1795年
ワルシャワ大公国 1807年 - 1813年
ポーランド立憲王国
1815年 - 1867年クラクフ共和国
1815年 - 1846年ポズナン大公国
1815年 - 1848年
第一次世界大戦 1914年 - 1918年
ポーランド摂政王国 1916年 - 1918年
ポーランド共和国(第2共和制) 1918年 - 1939年
第二次世界大戦 1939年 - 1945年ポーランド亡命政府
ポーランド総督府 1939年 - 1945年
ポーランド人民共和国 1952年 - 1989年
ポーランド共和国(第3共和制) 1989年 - 現在
ポーランド立憲王国(ポーランドりっけんおうこく)は、ポーランドを支配していた国家の1つである。1815年、ナポレオン・ボナパルトのワルシャワ公国に代わって設置された。
正式にはポーランド王国という国名であったが、以前に存在していたポーランド王国と紛らわしいため「立憲王国」と呼ばれることが多い。ロシア皇帝が国王を兼ねる、帝政ロシアの衛星国である。 ナポレオン没落後(1814年 - 1815年)、西欧諸国は欧州秩序再構成のためウィーン会議を開催した。オーストリア帝国外相クレメンス・メッテルニヒが主催したこの会議では、以下のことが定められた。これをウィーン体制と呼ぶ。
ウィーン体制樹立
フランス・スペイン・ナポリ - タレーラン=ペリゴールの提言した「正統主義」に基づき、ブルボン朝の政権を復活(王政復古)。
イギリス - オランダからケープ植民地とセイロン島の領有権、フランスからマルタ島を獲得。