ポーランドの歴史
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トゥスクは中道右派として中小企業保護政策などを打ち出す一方、対外的には宥和政策を採り、長年遺恨のあるドイツやロシアとも一定の歩み寄りも見せた[29]

2009年9月1日には、二次大戦勃発70周年式典が開かれ、ポーランドからはトゥスク首相が出席した[30]。同じ2009年11月27日には、「法と正義」のヤロスワフ・カチンスキ党首が提案した、「鎌と槌」や「赤い星」など共産主義のマークを禁止する法律が可決された[31][32]。しかしこれは公的機関における使用禁止措置であり、民間では制限されておらず、自由に使うことができる。たとえば観光都市クラクフでは共産主義的な雰囲気の残っているところを観光客が楽しむための旅行会社さえあり、共産主義のマークを問題なく使用している[33]

2010年4月、カティンの森事件の追悼行事に参加するため、レフ・カチンスキ大統領ら閣僚一行を乗せた政府専用機が墜落する事故が発生した(ポーランド空軍Tu-154墜落事故)。この事故により大統領夫妻をはじめ、乗客は全員死亡した。事故により、秋に予定されていた大統領選挙が繰り上げられ、6月代行のブロニスワフ・コモロフスキが正式に大統領に就任した。

下院の任期満了にともない2011年10月に行われた総選挙では与党の市民プラットフォームが勝利、ポーランド国民党との連立政権を維持し、引き続き第2次ドナルド・トゥスク内閣が発足した。国民からの信任を受けたトゥスク首相は長期政権を担うこととなり、1989年の民主化以来はじめて、2期目の任期を務める首相となった。

12月1日に、民主化以来初の首相再選も果たしたトゥスクがEU大統領に就任され、首相は辞任することとなった。

2015年の選挙ではPiSが勝利して政権を奪還すると、憲法違反の疑いのある法律を次々に制定し、違憲審査権を行使する憲法法廷(憲法裁判所)の掌握を進めた[34]。これに対し、欧州委員会はEU司法裁判所に提訴。裁判所は加盟国ポーランドに対し、1日100万ユーロ(約1億3000万円)を欧州委員会へ支払うことを命じた[35]。さらに、2021年10月7日、ポーランドの憲法裁はEU基本条約のうち、司法制度などに関する一部条項が自国憲法と「相いれない」と判断。EU法で国家主権が制約され、憲法が国内最高法として扱われない状況も違憲だと認定した。フォンデアライエン欧州委員長は「EUの法秩序の一体性に対する真っ向からの挑戦だ」として資金提供停止を示唆し、ポーランドのマテウシュ・モラヴィエツキ首相は「脅しだ」と反発した[36]。2022年より、加盟国による法の支配の原則に対する違反が認められる場合に、当該加盟国へのEU予算執行の一時停止などの措置をとることができる規則が制定され、EU司法裁判所も認めた[37]

一方、2022年にロシアによるウクライナ侵攻が起き、ポーランドが反露を前面に出すと、欧米の指導者はポーランドの独裁政権を称賛し、強力に支援し始める矛盾を見せた[38]

同年11月16日、ポーランドにロシア製のミサイルが着弾し、市民二人が死亡した。ミサイルによる被害はNATOの歴史、加盟国にとって初の事例となった[39]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ これにより当時の最高責任者だったヤルゼルスキは近年によって殺人罪で告発され、2010年現在でも裁判が継続しており、ヤルゼルスキは最高責任者としての道義的責任は完全に認めているものの、法的責任については本人は市民殺害を指示したことは一切ないためあの悲劇は内務省人民部の現場の人間の暴走行為だったとして無罪を主張している。

出典

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^ a b c J. P. Mallory, "Przeworsk Culture", Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn, 1997.
^ 現在のポーランド、ボヘミヤ、モラヴィアに広がっていた農耕・牧畜の文化 伊藤一郎「歴史の起源」24ページ(伊藤孝之・井内敏夫・中井和夫『新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社 1999年)
^ 伝統思想と民衆、 河原宏  成文堂, 1987. 174 ページ
^ Oskar Halecki, W: F. Reddaway, J. H. Penson. "The Law of Magdeburg used in Poland". The Cambridge History of Poland. CUP (Cambridge University Press) Archive. pp. 133?136. ISBN 1001288025. Retrieved October 23, 2012.
^http://www.todaytranslations.com/language-history/polish/odaytranslations.com. 2014-06-20. Retrieved 2015-03-31
^ 東欧史、山川出版社, 1977 p183
^http://jewishhistorylectures.org/2013/12/05/origins-of-polish-jewry-this-week-in-jewish-history/
^ The Polish Jews Heritage ? Genealogy Research Photos Translation". polishjews.org. 2009. Retrieved September 30, 2015.
^ Davies, Norman (2005a). God's Playground: A History of Poland, Volume I (2nd ed.). Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-231-12817-9. pp. xxviii-xxix
^ 伊東孝之『ポーランド現代史』山川出版社、1988年1版1刷発行、64,65頁より引用 ISBN 4-634-42270-0


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