ポーランドの歴史
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行政マネージメントの欠如、生産構造の悪さ、物資の欠乏は労働者のモラルを低下させ、働き盛り年代である640,000人が1981年-1989年の間に難民となり他国へ移民した[26]。共産主義政権からの膨大な借金と経済危機がますます深刻化、政治を不安定化させた[27]。西側諸国の機関は、すでに破産しているポーランド政府には貸付を延長しなかった、ヤルゼルスキの下、借金は1980年までの230億ドルが400億ドルになった[28]

ポーランド政府は、西側諸国や日本などの先進国に食糧や経済・技術支援を強く要請し国民の飢餓を逃れた。首相ドナルド・トゥスクワルシャワ市長(元ポーランド国立銀行総裁)のハンナ・グロンキェヴィチ=ヴァルツ

1997年選挙では「連帯」を中心とする連帯選挙行動が勝利し、非共産党系連立政権が成立したが、改革にともなう腐敗から人気を失い、2001年の総選挙では左翼民主連合・労働同盟連合が勝利して再び左派政権が誕生した。2005年の総選挙・大統領選挙では左翼陣営が敗れて再び政権交代が起こり、国会では旧「連帯」系の流れを汲む右派の「法と正義」の少数単独内閣が誕生、大統領職にも同党のレフ・カチンスキが当選を果たした。このように政権交代が相次ぐ一方で経済の発展と政治的な中央ヨーロッパへの復帰は順調に進んでおり、1999年には北大西洋条約機構(NATO)に、2004年には欧州連合(EU)に加盟した。


ヤロスワフ・カチンスキ率いる連立政権は政治路線をめぐってなかなか足並みがそろわず、政権運営が難航するとともに、国際社会においても欧州連合ロシアと軋轢を起こした。その後、連立政党「自衛」の党首アンジェイ・レッペルの収賄疑惑がカチンスキ首相に伝えられると、首相は政権維持を惜しまず2007年9月7日に議会を解散する。ブロニスワフ・コモロフスキ第三共和政第5代大統領

この選挙の結果、ポーランド議会(セイム)の会派は議席の多い順に、
都市型中道右派政党の「市民プラットフォーム」(209議席)

キリスト教民主主義保守主義政党の「法と正義」(166)

中道左派中道の政党連合「左翼と民主」(53)

農村型中道右派政党の「ポーランド農民党」(31)

ドイツ民族政党の「ドイツ少数民族」(1)

と、整理された。ドナルド・トゥスク首相

最大政党の「市民プラットフォーム」の議席は過半数(231議席)に満たなかったため、中規模専業農家の支持する農村型中道右派政党「ポーランド農民党」と連立政権を発足。首相に「市民プラットフォーム」の若い党首ドナルド・トゥスクが就任した。トゥスクは中道右派として中小企業保護政策などを打ち出す一方、対外的には宥和政策を採り、長年遺恨のあるドイツやロシアとも一定の歩み寄りも見せた[29]

2009年9月1日には、二次大戦勃発70周年式典が開かれ、ポーランドからはトゥスク首相が出席した[30]。同じ2009年11月27日には、「法と正義」のヤロスワフ・カチンスキ党首が提案した、「鎌と槌」や「赤い星」など共産主義のマークを禁止する法律が可決された[31][32]。しかしこれは公的機関における使用禁止措置であり、民間では制限されておらず、自由に使うことができる。たとえば観光都市クラクフでは共産主義的な雰囲気の残っているところを観光客が楽しむための旅行会社さえあり、共産主義のマークを問題なく使用している[33]

2010年4月、カティンの森事件の追悼行事に参加するため、レフ・カチンスキ大統領ら閣僚一行を乗せた政府専用機が墜落する事故が発生した(ポーランド空軍Tu-154墜落事故)。この事故により大統領夫妻をはじめ、乗客は全員死亡した。事故により、秋に予定されていた大統領選挙が繰り上げられ、6月代行のブロニスワフ・コモロフスキが正式に大統領に就任した。

下院の任期満了にともない2011年10月に行われた総選挙では与党の市民プラットフォームが勝利、ポーランド国民党との連立政権を維持し、引き続き第2次ドナルド・トゥスク内閣が発足した。国民からの信任を受けたトゥスク首相は長期政権を担うこととなり、1989年の民主化以来はじめて、2期目の任期を務める首相となった。

12月1日に、民主化以来初の首相再選も果たしたトゥスクがEU大統領に就任され、首相は辞任することとなった。

2015年の選挙ではPiSが勝利して政権を奪還すると、憲法違反の疑いのある法律を次々に制定し、違憲審査権を行使する憲法法廷(憲法裁判所)の掌握を進めた[34]。これに対し、欧州委員会はEU司法裁判所に提訴。裁判所は加盟国ポーランドに対し、1日100万ユーロ(約1億3000万円)を欧州委員会へ支払うことを命じた[35]。さらに、2021年10月7日、ポーランドの憲法裁はEU基本条約のうち、司法制度などに関する一部条項が自国憲法と「相いれない」と判断。


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